「シェムリアップ」の版間の差分

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==経済==
[[ファイル:Siem Reap Pubstreet.jpg|thumb|観光客で賑わうパブストリート]]
今なお、国内産業の中心は農林水産業にあるものの、加えて観光業に重点を置いた産業が活発化している。カンボジアでもっともよく知られる観光資源の一つに、シェムリアップ州に存在する[[アンコール・ワット|アンコールワット]]があげられるが、シェムリアップ州では、アンコールワットのほか、[[クメール王朝]]の遺跡群が多数存在するため、周辺地域の観光業はますますの発展を見せている。このようにシェムリアップの市街地や、遺跡等の観光地周辺には観光関連産業の集中から、農林水産業を従事してきた地域住民にも観光関連産業への転換の動きも見られる。
[[トンレサップ湖]]周辺では、伝統的に、住民は水田での米作と漁業を生活の基盤とし、最も重要な収入源にしてきた。[[クメール・ルージュ]]はアンコール遺跡群周辺を最後の拠点として抵抗を続けたが、相次ぐ投降を受けて[[ポル・ポト]]が[[ソン・セン]]を処刑し、ついでポル・ポトが死亡すると、本格的な[[地雷]]撤去作業が始められ、シェムリアップは観光都市としての復活を始めた。
 
[[トンレサップ湖]]周辺では、伝統的に、住民は水田での米作と漁業を生活の基盤とし、最も重要な収入源にしてきた。シェムリアップ州全体で見ても、小規模経営の農家が多く、米を中心とした作物栽培のほか、家畜の飼養も多い。2013年時点では、飼養頭数で比較すると、ブタが6位、牛が5位、鶏が5位、アヒルが4位などとなっている。[[クメール・ルージュ]]はアンコール遺跡群周辺を最後の拠点として抵抗を続けたが、相次ぐ投降を受けて[[ポル・ポト]]が[[ソン・セン]]を処刑し、ついでポル・ポトが死亡すると、本格的な[[地雷]]撤去作業が始められ、シェムリアップは観光都市としての復活を始めた。
 
1990年代に一連のプロセスが進行し、カンボジア国内の政治情勢も安定して、シェムリアップも平和で国内でも比較的に繁栄するようになった(とはいえ、カンボジアは最貧国の一つであり、平均月収は約30米ドルにすぎない)。シェムリアップの繁栄は観光業に負うところが大きい。
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[[Image:Water Dwelling Tonle Sap Cambodia.jpg|thumb|right|トンレサップ湖]]シェムリアップ州を含め、カンボジアでは、観光業の積極的な拡大と推進に力を入れている。2016年の1年間にカンボジアを訪れた外国人は5,011,712人となり、前年と比較しても5.0%の増加となった。また、カンボジアを訪れる外国人の約88%は観光を主目的としており、こうした外国人観光客によりもたらされた収益は2016年時点で32憶1200万ドルにのぼるとの報告があるが、この数字はカンボジアの国内総生産のおよそ16%にあたる。
 
カンボジアでも特にシェムリアップ州への外国人訪問客は多い。シェムリアップ州の郊外に位置する#REDIRECT<nowiki>[[シェムリアップ国際空港]]</nowiki>からの入国者数は2016年時点で1,507,039人となり、空路による入国者数のうち55.7%を占めている。さらに、外国人旅行者のうち、およそ44%が#REDIRECT<nowiki>[[アンコール・ワット|アンコールワット]]</nowiki>などの様々な遺跡が点在するシェムリアップ州への訪問を行っており、シェムリアップ州はカンボジアにおける最大の観光地域となっている。
 
===市街地===
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