「テッド・ターナー」の版間の差分

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自殺した父親の遺産を24歳の時に相続し、それを元手に[[1970年]]に[[アトランタ]]のテレビ放送局を買収し、放送局事業に参入。その後これを元に創業した[[CNN]]は世界初のニュース専門局として発展。キャスターに有色人種を多用するなど、放送業界やテレビ[[ジャーナリズム]]を大きく変革させた。他にCNNよりも多くの国で放送されているアニメ専門チャンネル[[カートゥーン ネットワーク]]らも創業している。[[1996年]][[アトランタオリンピック]]開催にはその意向が反映されていた。
 
アメリカ大リーグ野球 ([[メジャーリーグベースボール|MLB]]) チームの[[アトランタ・ブレーブス]]、[[アトランタ・ホークス]]、[[映画会社]]の[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]を買収。1977年当時のブレーブスは弱小チームで業を煮やしたターナーは自らシーズン途中に監督になったが1試合監督しただけで機構側に認められず退任した。同年にはヨットCourageousの船長として[[アメリカカップ]]に出場し、優勝したが、その優勝会見において泥酔していたことが物議を醸した。1990年代アトランタ・ブレーブスは投手王国として地区優勝を何度も経験している。
 
[[1996年]]にはCNN、[[ターナー・ネットワーク・テレビジョン|TNT]]、[[カートゥーン ネットワーク|CN]]、ターナー・エンターテインメント、[[ニュー・ライン・シネマ]]などターナーのケーブルテレビ局・[[エンターテインメント]]ビジネスを統括する事業持株会社[[ターナー・ブロードキャスティング・システム]] (TBS)が[[タイム・ワーナー]]社と合併。ターナーはタイム・ワーナーの副会長兼ケーブルネットワーク部門の会長に就いた。その後[[2001年]]にタイム・ワーナー社と[[AOL]]社は合併し[[AOLタイム・ワーナー]]社となった(その後社名をタイム・ワーナーに戻す)。[[2003年]]に副会長職を辞職、[[2006年]]には取締役からも退いた。現在、ターナーのタイム・ワーナーの所有率(普通株式ベース)は1%以下である。