「A.ランゲ&ゾーネ」の版間の差分

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=== 息子たちの参加、全盛期と破滅 ===
[[1867年|1868年]]には'''フェルディナント・アドルフ・ランゲ'''の長男'''リヒャルト・ランゲ'''が経営に参画し、屋号をA.ランゲ&ゾーネとした<ref name="vintagewatch2-54" />。[[1868年|1871年]]には次男の'''ミール・ランゲ'''も経営に参画。[[普仏戦争]]が終結した1871年頃から[[第一次世界大戦]]後の恐慌に見舞われる1920年代前半頃まで最盛期を迎えた<ref name="vintagewatch2-54" />。しかし[[インフレーション]]により生産量が激減、これはグラスヒュッテ時計会社の統合企業設立により何とか乗り切ったものの、[[第二次世界大戦]]勃発により軍需工場とされ、[[1945年]][[5月8日]]に[[ソビエト連邦]]軍の空襲により工房は焼失した<ref name="vintagewatch2-54" />。
 
さらに戦後、グラスヒュッテは[[社会主義国]][[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の領土になってしまったため、1948年4月20日に設備や資産を政府に接収され<ref name="vintagewatch2-54" />た上でグラスヒュッテ国営時計会社に統合された。創業者'''フェルディナント・アドルフ・ランゲ'''から数えて4代目の'''ウォルター・ランゲ'''(''Walter Lange'')は1948年に西側の[[プフォルツハイム]]に亡命した<ref name="vintagewatch2-54" />。