「テルアビブ空港乱射事件」の版間の差分

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また、[[アラブ世界|アラブ]]-イスラエル間の抗争にも拘らず、実行犯が両陣営とは何の関係もない[[日本人]]であったことも、世界に衝撃を与えた。[[日本国政府|日本政府]]は、実行犯が自国民であったことを受けて、襲撃事件に関して謝罪の意をイスラエル政府に公的に表明するとともに、犠牲者に100万ドルの賠償金を支払った<ref>『死へのイデオロギー』パトリシア・スタインホフ、岩波書店、2003年(平成15年)10月16日、p1-p52</ref>。
 
日本国内でも、その年の3月に発覚した[[連合赤軍]]による[[山岳ベース事件]]に続く[[極左]]団体テロ組織の凶行として、日本国民に強く印象に残り、凶行を繰り広げる極左[[過激派]]と日本国民との隔絶がさらに広がる事件となった。また、この事件において、[[武器]]を手荷物で簡単に持ち込むことができたことから、この事件以降、搭乗時の手荷物検査が世界的に強化されたほか、空港ターミナル内における警備も世界各国で強化されることとなった。
 
事件は、パレスチナ・ゲリラを始めとするイスラム武装組織の戦術にも大きな影響を与えたと言われる。岡本らが初めから生還の望みがない自殺的攻撃を仕掛けた事は[[イスラム教]]の教義で自殺を禁じられていた当時のアラブ人にとっては衝撃的であり、以降の[[イスラーム過激派|イスラム過激派]]が[[自爆テロ]]を[[ジハード]]であると解釈するのに影響を与えたとの説もある<ref>[[立花隆]]「自爆テロの研究」 [[文藝春秋]] 2001年11月特別号 103-104頁</ref>。なおこのテロ事件を日本赤軍側は'''リッダ闘争'''と呼ぶ。リッダ(Lydda)はロッドの非ヘブライ語での名称である。