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{{独自研究|date=2018年5月18日 (金) 12:39 (UTC)}}
[[画像:試衛館跡碑.JPG|thumb|200px|市谷柳町 25番地にある試衛館跡記念柱]]
'''試衛館'''(しえいかん)は、[[江戸時代]]末期([[幕末]])に[[江戸]]市中にあった、[[天然理心流|天然理心流剣術]]の[[道場]]である。
 
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== 名称について ==
名称の根拠は、[[小島鹿之助]]が[[明治1873年]](明治6年に記した『[[両雄士伝]]』の近藤周斎の割注に「構場(号試衛)江都市谷柳街…」とあるのみで、[[江戸時代]]の記録に試衛館の三文字が記述された[[史料]]はない。[[新選組]]の隊旗が「誠」であったことから、'''誠衛館'''の誤りと推測する説もある。更に、[[大石学]]も『新選組 ―「最後の武士」の実像―』(中公新書)中で“史料には試衛場という名称しか示されていない、試衛館の名は確認できない”としている。
 
== 場所をめぐる問題 ==