「ヴァイマル共和政」の版間の差分

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ヴァイマル共和政がなぜ失敗したかという議論は21世紀に入っても続いているが、恐慌による社会の不安定、国の経済規模を度外視した賠償を定めたヴェルサイユ条約への反発のほか、ドイツ人の政治観や民主主義への不信が挙げられる。[[ナショナリズム]]の研究を行っている哲学者・歴史家の{{仮リンク|ハンス・コーン|en|Hans Kohn}}は、「ほとんどのドイツ国民、特に右派の論客はヴァイマル共和政を臨時の存在であるとみなし、実際にそれを国家と称することを拒否していた。彼らにとって国家という言葉は『誇り』であり、『権力』であり、『権威』を意味するからである」と、ドイツ国民がヴァイマル共和政を正当な国家でないと考えていたと指摘し、「ドイツ人は共和政体を単なる組織、しかも西欧の腐敗した組織にすぎないと軽侮していた。民主主義はドイツ精神に適応しない西欧からの輸入品であったと見なしていた」と、ドイツ人が民主主義という概念そのものを嫌悪していたとしている{{sfn|多田眞鋤|2003|pp=83}}。[[エルンスト・ユンガー]]や[[オスヴァルト・シュペングラー]]らも同様に考えており、{{仮リンク|アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルック|en|Arthur Moeller van den Bruck}}は、[[神聖ローマ帝国]]、[[ドイツ帝国]]を継承する新たな「第三の[[ライヒ]]([[第三帝国]])」を構築するべきであると唱えた。
 
[[ヴァイマル憲法]]における大統領権限の強大さも挙げられる。憲法第48条には大統領権限で議会の承認を通さずに決裁ができる「緊急令」が定められており、特に最後の大統領であるヒンデンブルクはその反社会主義・反民主的志向もあってこの条項を強引に利用し、反議会的政治を行った。また、既存政党がいずれも未熟で、内閣不信任案の乱発で政治が混乱し続けた事も挙げられている<ref>林、ワイマル共和国、201-207p</ref>。実際に、共和政施行からヒトラーが就任するまでの13年間で、14人も首相が替わる有り様であった。こうした議会政治の不安定さと大統領の強権により、議院内閣制は機能しなくなり、ヒトラーが首相に任命され、全権委任法が成立する至って完全に終焉した。
 
現在のドイツの事実上の憲法である[[ドイツ連邦共和国基本法]](ボン基本法)は、ヴァイマル憲法の反省の上に立ち、大統領の権能を儀礼的なものに限定し、民主的体制を覆す自由([[自由からの逃走]])を制限し、国民に民主主義の維持を誓約させること、民主主義を否定する政党・団体の禁止、緊急立法による法改正および法の適用停止の禁止などを定めた「[[戦う民主主義]]」をうたっている。他に[[国民投票]]の制度は定められているものの、国土の変更と憲法改正にのみ適用される旨が規定されている。また、議会政治の不安定化を防ぐため、不信任決議は次期首相を指名した建設的な状態でなければ通らない旨が定められているのも特徴である。
 
== 政治制度 ==