「メアリー・アン・ニコルズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 日付のリンク
F.Adler (会話 | 投稿記録)
m 誤字修正
36行目:
ニコルズは身元確認ができるものを持っていなかったが、ペティコートにランベス救貧院で洗濯された印がついていたため、これを通じて身元を特定することができた<ref name=":14">Evans and Skinner, p. 23; Fido, p. 23</ref>。以前にいた救貧院の居住者がニコルズの身元を割り出し、ネリー・ホランドとウィリアム・ニコルズが遺体がメアリー・アン・ニコルズのものであることを確認した<ref name=":15">Fido, p. 23</ref>。ニコルズの死亡証明書には死亡時点で42歳と書かれているが、出生記録の情報は43歳で死亡したことを示していた。死亡証明書の年齢の誤記と思しきものは棺の名札や墓石にも反映されていた。検死審問の際にニコルズの父からも、ニコルズは死亡時に43歳だったことの確認がとれた。その際、父はニコルズが実年齢よりも10歳若く見えると述べた。ニコルズの検死審問は9月1日にホワイトチャペル・ロードのワーキング・ラッズ・インスティテュートで開かれた。検視官の{{仮リンク|ウィン・エドウィン・バクスター|en|Wynne Edwin Baxter}}が検死審問を担当した。[[タイムズ]]で検死審問の証言は次のように報じられた。
 
{{quote|5本の歯が無くなっており、舌に小さな裂傷があった。顔の右側の方で顎の下の部分に沿って打撲傷ができていた。拳による殴打か親指による圧迫で生じた傷の可能性がある。顔の左側には円形の打撲傷があり、こちらも指による圧迫で生じたものである可能性がある。首の左側では、顎から2.5センチメートルほど下の方に裂傷があり、耳のすぐ下から10センチメートルほど切り裂かれていた。同じく首の左側に、先ほどの傷から2.5センチメートル下に傷があり、首の前の方から2.5センチメートルのところから、右顎の7.6センチメートル下のところまで、円く切り裂かれていた。その傷は頚椎の下の組織を完全に全て切り裂いていた。首の両側の大血管が切り裂かれていた。その傷は約20.3センチメートルの長さだった。これらの傷は刃渡りの長い程々の鋭さのナイフで非常に激しく切りつけてできたものに間違いない。<br />乳房には血が付いておらず、体や衣服にも血は付いていなかった。そこから下腹部までには傷が無かった。下腹部の左側から5センチメートルから8センチメートルほどのところでざの傷があった。その傷は非常に深く、組織を貫通していた。腹部を横切る裂傷が数箇所あった。右側には同じような下方向の裂傷が3・4箇所あり、どれもナイフで下方向に激しく切りつけてできたものである。傷は左から右へ付けられており、左利きの人物によって付けられた可能性がある。全ての傷は同じナイフで付けられていた<ref>''The Times''、1888年9月3日 (出典: Evans and Skinner, p. 35)</ref>。|||}}
 
ルエリンは殺人者は左利きの可能性があると推測したが、後にこの初期の推測は誤っている可能性があると語った。しかし、殺人者は左利きであるという話はその後も信じられ続けた<ref name=":16">Evans and Rumbelow, p. 60</ref>。