「矢上川」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
HeroPop (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
9行目:
 
矢上橋以南は土手に柵がなく開放的になっている。その後、八兵衛橋、幸区と日吉方面を結ぶ道路の一本橋を過ぎると、[[南加瀬#公共施設|加瀬環境センター]]([[下水道|下水]]高度処理施設)の脇を通る。その先の矢上川橋を過ぎると鷹野大橋付近で[[鶴見川]]に合流する。
 矢上川はその源を多摩丘陵に位置する菅生から発した後、東名高速道付近から、下末吉大地を開削してほほ東南東に流下、川崎市高津区子母口で多摩川低地に入り、以後、下末吉台地北縁を南東に流れ、川崎市中原区矢上で、慶應義塾大学工学部の載る矢上台の縁を回り込むように90度近く向きを南に変え、矢上台と加瀬山の間を抜けて、鷹野大橋で鶴見川に合流する。加瀬山より南の川崎市幸区南加瀬付近から鷹野大橋までは、矢上川の全行程中最も屈曲が激しかったことが、明治時代や大正時代の地形図で明らかであり、三日月湖の存在も見て取れる。最終氷期最寒冷期に河川は深く下刻したが、このときの矢上川(古矢上川)は、ボーリング地質調査などから、子母口で古多摩川と合流していたと推定される。従って、現在のように、矢上で多摩川低地を離れ、鶴見川支流となったのは、地質年代では比較的最近の縄文海進が海退に入り、陸化した縄文時代後期以降のことと思われる。
 
==支流==