「コーラス (ポピュラー音楽)」の版間の差分

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== 日本のポピュラー音楽のコーラス ==
[[日本]]のポピュラー音楽においては、[[1970年代]]初頭から、[[赤い鳥 (フォークグループ)|赤い鳥]](のち、コーラスグループの[[ハイ・ファイ・セット]]とデュオの[[紙ふうせん]]に分裂)、[[チューリップ (バンド)|チューリップ]]、[[オフコース]]など、コーラスを重視するグループが多く存在した。しかし、ソロ歌手では、[[スタジオ・ミュージシャン]]や[[バックバンド]]としてのコーラスがほとんど存在しなかったこともあり、[[荒井由実]](ハイ・ファイ・セット、[[山下達郎]]、[[吉田美奈子]]、[[大貫妙子]]、[[シンガーズスリー]]、[[タイムファイヴ]]、[[伊集加代|伊集加代子]]などが参加)などの例外的なケースを除いて、[[1970年代]]末まで、コーラスを積極的に用いる例はあまりなく、コーラスを専門に行う主要なスタジオ・ミュージシャンとしては、[[山川恵津子]]、比山清(貴咏史)、[[木戸やすひろ]](泰弘)、くらいしか登場しなかったが、この3名による混声コーラスはスタジオ界に旋風を巻き起こした。
 
このような状況を変えるきっかけともなったのは、[[1980年]][[12月]]に山下達郎が発表した『[[ON THE STREET CORNER]]』であろう。これは、基本的に山下1人(吉田美奈子も1曲に参加)による、ア・カペラ・アルバムで、それまで、[[コンサート]]のために録りためていた作品をまとめたものであった。1980年には、シングル「Ride on Time」が大ヒットしており、この時期を逃したなら、二度とこのような特殊なアルバムを制作することなどかなわない(レコード会社が認めてくれない)と、本人の希望で急遽制作されたとも言われる。
 
1970年代から、自分の作品(レコード)に多重録音によって自分の声をのせるということはなされていた。しかし、[[フォークソング|フォーク]]の例などでは、あまり質は高くなく、また、山下達郎、[[竹内まりや]]、[[八神純子]]、合唱団の経験が長い[[山本達彦]]などの例は、質は高いが、数も少なく、全体から見れば、ごく例外的なものであった。
 
しかし、必ずしもこのアルバムがその唯一の理由とまではいえないが、1980年以降は、状況は大きく変わり、自分自身による多重コーラスは、当然のものとなっていった。そのようなアーティストとしては、[[杉真理]]、[[安部恭弘]]、[[EPO]]、[[村田和人]]、[[楠瀬誠志郎]]など、枚挙に暇がない。