削除された内容 追加された内容
JapaneseA (会話 | 投稿記録)
→‎来歴: 内部リンク修正
26行目:
翌[[1996年]]は1年で2枚のアルバムを発表するなど、[[2003年]]までの間にハイペースでのアルバム製作とリリースを重ねた。その間は自身のアルバムだけでなく、[[ビョーク]]のアルバム『Post』のプロデュースや、映画『[[フィフス・エレメント]]』への出演、リミキサーとしてもビョークや[[エルヴィス・コステロ]]、[[ガービッジ]]、[[RIP SLYME]]などの楽曲を手掛ける。
 
[[2000年代]]に入って以降は、ツアー生活の疲弊から徐々に音楽活動への情熱を失っていき、替わりに、以前から楽曲提供などで関わり合いのあった[[映画]]業界をはじめとした映像分野への関心を強め、[[2004年]]に音楽活動を休止。その後は[[ニューヨーク]]に拠点を移して[[ショート・フィルム]]や[[ミュージック・ビデオ|PV]]製作などのサイド・プロジェクトに専念する。
 
[[2008年]]に音楽活動を再開。その理由は「アメリカでの生活中、ラジオから流れてくるメインストリームの売れ線ヒップホップのあまりの駄作ぶりに閉口し、今の自分でさえ、あれよりは良い曲を書けるだろうと思った」からだそうである。