「ジャーヒリーヤ」の版間の差分

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また、半島西部の紅海沿岸地域、[[ヒジャーズ|ヒジャーズ地方]]では大小の[[オアシス都市]]が紀元前から形成されていたが、[[メッカ]]やのちの[[メディナ]]であるヤスリブなどの諸都市は、これらの諸王朝とは同盟関係を結ぶなどして独立しており、都市の内外では独自に部族社会を形成していた。メッカのような部族的紐帯が強い都市や地域では、王のようなものがおらず、メッカでは[[クライシュ族]]の代表者や長老たちが合議によって政治的な決定行っていた。アラビア半島は陸路での交易が活発であった。アラブの諸部族はラクダや馬の隊商を組んでシリアやイラク、あるいはエチオピアやエジプトなど周辺諸地域への交易に積極的であり、メッカなどの拠点的な巡礼地では巡礼による多大な収益も得ていた。またヒジャーズ地方のような都市部やイエメンのような耕地が恵まれた地域などでは交易の他にナツメヤシ畑が開拓され、またイエメンでは5世紀頃から銀山開発のためにサーサーン朝からペルシア人の入植があった。
また、この地帯は商業で栄え古代から定期も沢山あった。
 
== 宗教的風土 ==