「日本のダムの歴史」の版間の差分

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=== 江戸時代の水利 ===
[[ファイル:見沼地図.png|200px|thumb|[[芝川 (埼玉県)|芝川]]を堰き止めて建設された[[見沼|見沼溜井]]推定湛水域。八丁堤はJR[[東浦和駅]]付近に建設されたと考えられている。]]
後北条氏滅亡後、旧領に封じられたのは徳川家康であった。家康は関東入国後一族や有力家臣を各地に配置すると同時に利根川・荒川の治水、灌漑整備に力を注いだ。[[関ヶ原の戦い]]で石田三成らを破り、[[1603年]](慶長8年)に[[征夷大将軍]]に叙されて江戸幕府を開くと、関東における治水・利水事業をさらに加速させるがこの一連の事業に中心的な役割を果たしたのが、[[伊奈忠次]]を祖とする[[関東郡代]][[伊奈氏]]であった。[[備前渠用水]]や[[葛西用水路]]など21世紀の今でも供用されている[[用水路]]の整備を手掛けた伊奈氏であるが、ダムや[[堰]]についても手掛けている。利根川中流域では[[埼玉県]][[さいたま市]]・[[川口市]]付近に存在していた自然の湖沼である[[見沼]]を[[寛永]]年間(1624年-1643年)に関東郡代[[伊奈忠治]](忠次の次男)が八丁堤という堰堤を荒川支流の[[芝川 (埼玉県)|芝川]]に建設して貯水量を増加させ、見沼溜井を完成させた。溜井とは河川を利用した貯水施設のことであるが、こうした溜井は葛西用水路でも建設され、[[大落古利根川]]の松伏溜井や[[琵琶溜井]]、[[元荒川]]の瓦曾根溜井などの溜井が建設され流域の農地に用水が供給された<ref>『利根川百年史』pp.366-367</ref>。また[[小貝川]]では「関東三大堰」と称される堰が建設されたが、[[1634年]](寛永11年)に完成した岡堰、[[1669年]](寛文9年)に完成した豊田堰、[[1722年]](享保7年)に完成した[[福岡堰]]は何れも溜井と同様に河道に貯水を行う形で建設された堰であった<ref>『利根川百年史』pp.368-369</ref>。見沼溜井は供給量の限界に伴い8代将軍・[[徳川吉宗]]の命により[[勘定吟味役]]である[[井沢弥惣兵衛|井沢弥惣兵衛為永]]が[[1728年]](享保13年)6月に[[見沼代用水]]を建設し、見沼は[[干拓]]された<ref>『利根川百年史』pp.373-374</ref>がそれ以外については新田開発に寄与している。
 
一方、幕府が開かれて以降江戸の町は急速に人口が増加し、当時の[[ロンドン]]や[[パリ]]よりも多い100万人の人口を抱えるようになり[[上水道]]の供給も大きな課題となっていた。1590年、家康は[[大久保忠行]]に命じて小石川上水を建設。[[1629年]](寛永9年)頃には[[井の頭池]]や[[善福寺池]]、[[妙正寺池]]を水源とする[[神田上水]]が、そして[[1653年]](承応2年)には[[多摩川]]を取水元とする[[玉川上水]]が完成して江戸の水需要を賄った。こうした用水路に加え、現在の[[東京都]][[千代田区]][[永田町]]から[[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]付近には赤坂溜池というため池と虎ノ門堰堤という上水道専用堰堤があった。この地には元々濠があったが、堰堤を建設することで濠をせき止め貯水量を増加させて上水道を供給した。[[歌川広重]]の『[[名所江戸百景]]』に「虎ノ門外あふひ坂」図があるが絵の右側に水が越流する堰堤が描かれており、竹村公太郎はこの絵から堰堤の規模は高さ4.0メートル程度の石積み堰堤ではないかと推定している。虎ノ門堰堤・赤坂溜池は明治時代以降に消滅し現存しないが、[[溜池山王駅|溜池山王]]の地名にその名を残している<ref>[http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/kouhou/pr/tamagawa/rekishi.html 東京都水道局『玉川上水の歴史』]2015年7月31日閲覧</ref><ref>[http://token.or.jp/magazine/g201105.html 東京建設業協会『キーマンが語るトウキョウ地図』第2回]2015年7月31日閲覧</ref>。また、東京都[[小平市]]を水源として[[練馬区]]・[[板橋区]]・[[北区 (東京都)|北区]]を流れ[[隅田川]]に注ぐ[[石神井川]](しゃくじいがわ)にも石積み堰堤が建設されていた。江戸時代、北区[[滝野川 (東京都北区)|滝野川]]付近の石神井川は音無川と呼ばれ、この地で渓谷を形成しており滝野川渓谷・音無渓谷などと通称されていたが、現在の都道455号音無橋付近に石積み堰堤が建設され農業用水に利用された。この堰堤を王子石堰と呼び、虎ノ門堰堤同様名所江戸百景に描かれていたが撤去され現存はしていない<ref>[http://www.city.kita.tokyo.jp/yoran/rekishi.html 北区勢要覧 - 歴史年表]2019年12月22日閲覧</ref><ref>[http://www.asukayama.jp/stroll/sa1-04.html 飛鳥山3つの博物館『音無親水公園』]2019年12月22日閲覧</ref>