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'''菖蒲湯'''(しょうぶゆ)とは[[5月5日]]の[[端午]]の[[節句]]の日に、[[ショウブ]](菖蒲)の[[根]]や[[葉]]を入れて沸かす[[風呂]]のことである。[[年中行事]]のひとつ。
 
ショウブをどのように入れるかについては各人さまざまであり、写真のように長いまま入れる場合もあり、また、刻んで入れる、と記している文献もいくつかある<ref>『下関民俗歳時記』下関市教育委員会、1956年 などでは「菖蒲の根や葉を4~5寸ほどの長さに刻んで風呂の中にいれる」としている。</ref>。
 
== 由来 ==
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菖蒲湯の歴史は遡ると長い。[[中国]]の古い歴史にまで遡るとする文献もある<ref>『入門 歳時記』角川書店、1980年(p.566に菖蒲湯の由来が中国まで遡って書かれている)</ref>。
 
そもそも、菖蒲は古くから病邪を払う[[薬草]]と考えられていた<ref>『下関民俗歳時記』下関市教育委員会、1956年</ref><ref>久保村正高『一生使えるお作法図鑑』p.15</ref>。中国の書物『[[荊楚歳時記]]』(けいそさいじき、[[6世紀]]に[[梁 (南朝)|梁]]の[[宗懍]]が著した中国最古の年中行事『[[荊楚歳時]]』にも、古くから中国の人々が長寿や健康を願って菖蒲を用いていたと記されている<ref>小野迪夫、金子善光『祝詞必携』</ref>。昔から端午の日というのは[[春]]から[[夏]]への変わり目と考えられていた。そして季節の変わり目というのは体調を崩しやすいものだと見なされている。端午の日には、菖蒲酒、菖蒲湯、菖蒲刀など、菖蒲を用いる習俗が多い<ref>『下関民俗歳時記』下関市教育委員会、1956年 ほか</ref>。
 
[[日本]]の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の宮廷生活が記された『[[御湯殿上日記]]』には、[[天文 (元号)|天文]]2年([[1533年]])5月5日の条に「こよひの御いわい(祝)もいつものことし、しやうふ(菖蒲)の御ゆ(湯)めさします」とある<ref>奥野高広『戦国時代の宮廷生活』p.69</ref>。5月4日に菖蒲の枕を用いて、5月5日にはその枕を解き、それを湯に浮かべた菖蒲湯に浴したらしい<ref>奥野高広『戦国時代の宮廷生活』p.69</ref>。
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一般庶民が菖蒲湯を楽しむようになったのは意外に遅く、江戸時代になってからだとも言う<ref>『美しい日本の習慣』幸運社 p.63</ref>。
 
江戸時代の庶民の生活の様子を綴った『[[東都歳事記]]』の5月6日の項には、「諸人菖蒲湯に浴す」と書かれている<ref>宮田登『暮らしと年中行事』吉川弘文館あり2006年、p.227</ref>。5月5日の夜あるいは5月6日の朝に、各家では菖蒲湯に入る風習があったのであるという<ref>宮田登『暮らしと年中行事』吉川弘文館、2006年、p.227</ref>。江戸時代、長屋暮らしの庶民も湯屋へ行って菖蒲湯を楽しんだ。[[宝井其角]]は次のような句を詠んだという<ref>中江克己『なぜ江戸っ子を「ちゃきちゃき」と言うのか: 粋な江戸の生活事情』p.180</ref>。
 
: 銭湯を沼になしたる菖蒲(あやめ)かな
 
この句から、端午の節句には[[銭湯]]の湯を菖蒲が埋め尽くし、さながら沼のようになっていたと推察される<ref>中江克己『なぜ江戸っ子を「ちゃきちゃき」と言うのか: 粋な江戸の生活事情』p.180</ref>。銭湯の客は、普段の湯銭に加えてわずかの祝儀をおひねりにして、番台の上に置かれた[[三方 (神道)|三方]]に置くというのが決まりだったという<ref>中江克己『なぜ江戸っ子を「ちゃきちゃき」と言うのか: 粋な江戸の生活事情』p.180</ref>。
 
銭湯と言えば、5月5日には銭湯の入り口に「五月五日菖蒲湯仕候」という紙が貼り出されたものだったという<ref>『下関民俗歳時記』下関市教育委員会、1956年</ref>。現在でも銭湯や温泉等々で、その日、その季節になると菖蒲湯が用意されていることがある<ref>『田園都市生活』Vol.15などにも菖蒲湯を用意する温泉のことが書かれている。一例として。</ref>。
 
菖蒲湯や[[あやめ]]湯は、[[薬湯]]の一種である<ref>宮田登『暮らしと年中行事』吉川弘文館2006年、p.227</ref>。またその[[香り]]によって悪疫を退散させようとする[[民間療法]]でもある<ref>宮田登『暮らしと年中行事』吉川弘文館、2006年、p.227</ref>。<!--{{要出典}}菖蒲湯に入浴することで、邪気を払うとされる。ショウブは「勝負」や「尚武」につながるともいうが、元来は[[薬草]]である。「服薬」の語があるように薬草には呪術的意味があり、身におびるとよいとされた。[[アイ (植物)|アイ]]・[[アカネ]]・[[キハダ (植物)|キハダ]]などの[[染料|染色植物]]はほとんどが薬草である。-->菖蒲湯は薬草を入れた温水浴としての[[民間医療]]行為としての意味があり、これが[[年中行事]]と結びついた例といえる。同様の例として、[[冬至]]の日の[[柚子湯]]がある。
 
== 現代 ==
現代でも5月5日([[こどもの日]])にたてた風呂<ref>=沸かした風呂。</ref>に菖蒲を入れ、これに浴すれば暑い夏を丈夫に過ごすことができると信じられている。また、風呂の中で菖蒲の葉の鉢巻を締めると、その効果はさらに高まる、と信じられている<ref>芳賀日出男『日本の祭』保育社、1991年 ISBN 4586508078 p.36</ref>。
 
== 菖蒲湯の効果 ==
菖蒲には[[アサロン]]や[[オイゲノール]]という[[精油]]成分が多く含まれている<ref>グレース早苗『美肌になるための12ヵ月カレンダー: 美肌になる!!』p.55</ref>。おり、[[腰痛]]や[[神経痛]]を和らげる効果が期待できる<ref>グレース早苗『美肌になるための12ヵ月カレンダー: 美肌になる!!』p.55</ref>。店頭で売られている菖蒲は葉の部分が多いが、血行促進や保湿効果の薬効がある精油成分は[[根]]の部分にあるので、それを望む場合は[[漢方]][[薬局]]で相談するとよい<ref>グレース早苗『美肌になるための12ヵ月カレンダー: 美肌になる!!』p.55</ref>。
 
また、菖蒲には独特の香りがある。菖蒲湯には[[アロマセラピー]]効果もあり、心身ともリラックスすることを期待できる<ref>グレース早苗『美肌になるための12ヵ月カレンダー: 美肌になる!!』p.55</ref>。
 
== 季語 ==
なお、菖蒲湯は[[夏]]の[[季語]]となっている。
 
江戸中期の俳人・[[加舎白雄]](かや しらお)詠んだ歌に次のような句がある<ref>中江克己『なぜ江戸っ子を「ちゃきちゃき」と言うのか: 粋な江戸の生活事情』p.180</ref>。
 
: 菖蒲湯や菖蒲寄り来る乳のあたり<ref>中江克己『なぜ江戸っ子を「ちゃきちゃき」と言うのか: 粋な江戸の生活事情』p.180</ref><ref>[[沼波武夫]]『俳句研究』東亞堂書房、明治40年、p.192</ref>