「ヘンドリック・フルウールト」の版間の差分

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一方でフルウールトは強い[[反共]]主義者であり、南アフリカを反共の砦と位置づけていた。そのため[[冷戦]]下の[[西側]]諸国は南アフリカと経済関係を切ることができず、この時期南アフリカ経済は西側からの投資によって発展した。白人労働者の生活は向上し、議会も自由なままであった。そのため白人有権者から強い支持を受けた国民党は議会選挙で勝利し続け、フルウールトは1961年と1966年に首相に再選された。
 
1966年9月6日、[[ケープタウン]]での下院議会に参加した際、フルウールトは白人の反アパルトヘイト主義者であるギリシア生まれの守衛{{仮リンク|ディミトリオス・ツァフェンダス|en|Dimitri Tsafendas}}に刺され命を落とした。
 
== 関連項目 ==