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桑名の一揆隊の一部は北上を続け<ref name="tcc3" />、数百人の集団で[[桑名郡]]香取村(現在の桑名市多度町香取)から岐阜県[[石津郡]]境村(現在の[[海津市]]南濃町境)に入り、沿道の村民を集め、一揆隊は1000人に上った<ref>鈴木(1980):313ページ</ref>。数隊に分かれ石津郡中嶋村・太田村(どちらも現在の海津市南濃町内)を放火した後、石津郡山崎村(現在の海津市南濃町山崎)に向かう隊と[[揖斐川]]を越えて石津郡安田新田(現在の海津市海津町安田新田)に向かう隊に分裂した<ref name="gks">鈴木(1980):313ページ</ref>。
 
山崎村に向かった一揆隊は石津郡西駒野村、庭田村、[[多芸郡]]志津村(以上は現在の海津)、小倉村、横屋村(以上は現在の[[養老郡]][[養老町]])へ入り放火した<ref name="gks" />。横屋村で井戸[[警部]]に追われたため、隊は解散するが、西駒野村で一部の一揆隊が多芸郡駒野新田(現在の海津市南濃町駒野新田)、根古地村(現在の養老郡養老町根古地)を経て大巻村(現在の養老郡養老町大巻)に入り、学校を焼き払った<ref name="gks" />。安田新田に向かった一揆隊は石津郡帆引新田、三葉村(どちらも現在の海津市海津町内)などで放火、高須村(現在の海津市海津町高須)では戸長宅と学校を焼き、更に[[安八郡]]へ入り西島村、高田村(どちらも現在の海津市平田町)で火を放ち、土倉村(現在の海津市平田町土倉)に入ろうとした時に川俣警部らの攻撃を受け、隊は崩壊した<ref name="gks" />。また愛知県海東郡津島から岐阜県海西郡に入った一揆隊もあり、日原や駒ヶ江村(いずれも現在の海津市海津町内)などを荒らすも主力が衰えていたため、大きな被害は出なかった<ref name="gks" />。
 
岐阜県内の一揆は12月23日にはすべて鎮静化した<ref name="gks" />。4郡51村に被害をもたらし、[[民家]]56戸と学校6校が焼かれ、32戸が損害を受けたが、幸い死者はなかった<ref name="gks" />。148名が逮捕され、[[佐屋川]]の河原には大量の武器が埋没したという<ref name="gks" />。