「パルコ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
40行目:
国内外で[[ファッションビル]]「PARCO」を18店舗(建て替え休業中1店舗を含む)、「ZERO GATE」を9店舗展開している。他に、[[PARCO劇場]]、[[シネクイント]]、[[CLUB QUATTRO]]、[[TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ]]、[[radio drive plus]]などの[[劇場]]や[[ライブハウス]]、[[ラジオ番組]]、PARCO出版など、[[文化]]・ソフト事業も幅広く手がけてきた。
 
かつて[[堤清二]]が率いた[[西武百貨店]]を中核とした[[セゾングループ]]の一角を成したが、パルコについては直接関与せず、全面的に[[増田通二]]に託し自由を与えた経緯から、独特の個性が出来上がった<ref>{{cite news |title=パルコ争奪戦、「堤劇場」に終幕のベル(ルポ迫真)|author=|agency=|publisher=日本経済新聞|date=2012-9-11|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO45990910R10C12A9EA1000/|accessdate=2016-12-1}}</ref>。セゾン系本流とは別にパルコ独自の劇場や出版社を持ち、[[広告]]手法も異なった。PARCOは若年層、西武百貨店は中高年層を主な顧客ターゲットにして棲み分けがなされているが、西武百貨店がない地域にある一部のPARCOでは、ターゲット層をやや上の年齢層まで広げている。
 
[[2011年]]以降、「PARCO」とは別業態の「ZERO GATE」(ゼロゲート)という中低層商業ビルの展開を進めている。
46行目:
== 沿革 ==
=== 池袋ステーションビルからパルコへ ===
パルコ発祥の店、旧[[日本国有鉄道|国鉄]]・[[池袋駅]]の[[駅ビル]]開発を目的に設立された「[[池袋ステーションビル]]」が前身。当初は[[ホテル]]を核[[テナント]]とする[[予定]]であったが、途中で方針を転換。京都の百貨店[[丸物]](後の[[近鉄百貨店]])から[[出資]]を受け入れ、[[1957年]]([[昭和]]32年)「[[丸物#東京丸物|東京丸物]]」の店名でオープンした。
 
[[1969年]](昭和44年)、業績低迷を理由に丸物が撤退し、[[小佐野賢治]]の仲介で[[西武百貨店]]の資本参加を仰ぐことになった。同年、池袋の東京丸物の跡地に[[ファッションビル]]パルコ1号店が開店した。
 
なお、丸物傘下から西武百貨店の傘下になった百貨店として[[丸物#豊橋丸物|豊橋丸物]](西武百貨店の傘下に入ったのち[[豊橋西武]]。[[豊橋市]]にあった)があり、[[2003年]]([[平成]]15年)まで営業していた。現在は建て替えられ[[ココラフロント]]となっている。
 
=== セゾングループ解体後 ===
57行目:
2005年より「中期経営5カ年計画」を推進し、主に[[政令指定都市]]への連続出店を展開した。その第1弾として、[[2007年]](平成19年)[[3月15日]]に新規出店としては10年ぶりとなる「静岡PARCO」を[[静岡市]]の[[西武百貨店|西武百貨店静岡店]]跡に開店した。同年[[10月10日]]には[[さいたま市]]に「[[浦和パルコ|浦和PARCO]]」、[[2008年]](平成20年)[[8月23日]]には[[東北地方]]の拠点都市である[[仙台市]]に「[[仙台パルコ|仙台PARCO]]」を開店した。[[2010年]](平成22年)[[3月19日]]には、[[九州地方]]の拠点都市である[[福岡市]][[天神 (福岡市)|天神]]の[[岩田屋]]旧本館跡にも「[[福岡パルコ|福岡PARCO]]」をオープンさせた。
 
[[2010年]]からの中期経営計画では[[京浜]][[京阪神]]の未出店エリアへの出店、地域特性に応じた既存店舗の業態特化、アジアを中心とした海外進出などが挙げられている。
 
=== 資本提携を巡る思惑 ===
67行目:
 
=== J.フロント リテイリング傘下へ ===
[[2012年]][[2月24日]]、森トラストが保有するパルコ株全てを[[J.フロント リテイリング]]が取得する方針が発表され<ref>{{PDFlink|[https://www.parco.co.jp/group/pdf/press_120224.pdf 株式の売出し、主要株主及び主要株主である筆頭株主の異動の予定並びにその他の関係会社の異動の予定に関するお知らせ]}} - パルコ・2012年2月24日</ref>、3月23日に取得し、筆頭株主となった(取得:3月23日)。さらに7月5日にJ.フロント リテイリングによる[[株式公開買い付け]](TOB)と資本業務提携を発表<ref>{{PDFlink|[https://www.parco.co.jp/group/pdf/press_120705.pdf J.フロント リテイリング株式会社による当社株式に対する公開買い付けに関する意見表明及び同社との資本業務提携契約の締結のお知らせ]}} - パルコ・2012年7月5日</ref>、8月21日にはTOBが成立しJ.フロントが株式の65%を保有する親会社となった<ref>{{PDFlink|[https://www.parco.co.jp/group/pdf/press_0821.pdf J.フロント リテイリング株式会社による当社株券に対する公開買付けの結果、親会社及びその他の関係会社の異動並びに主要株主の異動に関するお知らせ]}} - パルコ・2012年8月21日</ref><ref>{{cite news |title=Jフロント、パルコへのTOB成立発表 27日子会社に|author= |agency=|publisher=日本経済新聞|date=2012-8-21 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD210D8_R20C12A8TJ1000/|accessdate=2015-8-1}}</ref>。なお既存の大株主については、日本政策投資銀行がTOBに応じ株式の大半を売却したのに対し<ref>{{cite news |title=政投銀、パルコ社債を普通株に転換 TOB応募へ|author=|agency=|publisher=日本経済新聞|date=2012-8-1|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD010E3_R00C12A8TJ0000/|accessdate=2015-8-24}}</ref>、イオンはTOBに応じず、2018年8月現在も株式を保有している<ref>[https://jp.reuters.com/article/tk0877486-parco-tob-by-j-front-idJPTYE87K04D20120821 Jフロントによるパルコ株のTOBが成立、イオンは応募せず] - ロイター・2012年8月21日</ref>。
 
J.フロント傘下の[[大丸]]・[[松坂屋]]等の百貨店とパルコの協業も進んでいる。既にJ.フロント傘下入り前から、[[20072013年]]開業[[浦和パルコ|浦和PARCO]]内、大丸がテナント(食品フロア)として入居していたが、[[2017年]][[7月31日]]に退店した。傘下入り後、まず[[2013年]]夏より、名古屋PARCOおよび隣接している松坂屋名古屋店で、においてクリアランスセールのコラボレーションやホームページの相互リンクわれている。また[[2017年]]秋に新装オープンした松坂屋上野店の新南館にはパルコの大人向け業態「[[上野フロンティアタワー|PARCO_ya]]」(パルコヤ)がキーテナントとして入居しており<ref name="jfr130826">[https://www.j-front-retailing.com/_data/news/130826_UP_JFR_J.pdf 株式会社大丸松坂屋百貨店 松坂屋上野店南館の建替えについて] - J.フロント リテイリング・2013年8月26日</ref>、協業が本格化してきている。なお、[[浦和パルコ|浦和PARCO]]([[2007年]]開業)内には傘下入りする前から大丸がテナント(食品フロア)として入居していたが、[[2017年]][[7月31日]]に退店した
 
=== 年表 ===
109行目:
{{See also|セゾングループ}}
 
パルコが頭角を現すのは東京[[渋谷]]への進出からだといわれる。[[1960年代]]以降、セゾン系は拠点を渋谷に求めた。だが、[[東京都区部]]における当時の代表的な繁華街といえば[[新宿]]や[[銀座]]であり、異質な文化を求める若者は[[六本木]]に集まった。渋谷は坂に囲まれた複雑な地形にあり、当時としては商業集積地に適さないと予想され、渋谷進出を危惧する声は根強かった。そうした予測に反し、パルコは若者カルチャーやアートとクロスオーバーさせた斬新な展開で挑み、それは大きな反響を呼ぶことになる。またセゾングループ時代の斬新なテレビ広告はしばしば話題になった。その一つに[[ニューヨーク]]の[[ハドソン川]]を[[内田裕也]]がスーツで泳ぐ[[コマーシャルメッセージ|CM]]があった。
 
=== 渋谷公園通り ===
121行目:
=== ダイハツとのタイアップ ===
[[ファイル:DAIHATSU MOVE PARCO (Rear).JPG|thumb|150px|ムーヴパルコ]]
[[ダイハツ工業]]と提携し、[[1988年]](昭和63年)に[[ダイハツ・ミラ|ミラ]]の[[特別仕様車]]が発売され、その後、[[1995年]](平成7年)には[[ダイハツ・オプティ|オプティ]]、[[2001年]](平成13年)には[[ダイハツ・ムーヴ|ムーヴ]]、[[ダイハツ・YRV|YRV]]にパルコ仕様グレードが設定された。また、過去にはパルコ全店舗でダイハツ車の展示会を行っていた。しかし、[[2002年]](平成14年)にはセゾングループの経営再建とムーヴのフルモデルチェンジに伴って提携解消。
 
=== PARCOオルガン坂大賞 ===
388行目:
; 岐阜PARCO
:[[岐阜県]][[岐阜市]]。[[1976年]](昭和51年)[[9月23日]]開店 - [[2006年]](平成18年)[[8月20日]]閉店。
: 旧山勝。[[1973年]]4月、同社が西武百貨店と資本提携を締結<ref name="his1-308">[[#歴史上|セゾンの歴史 上]] p.308</ref>。再建に努めるも赤字体質から脱却できず、店舗の改装に10億円を投じパルコに転換される<ref>[[#歴史下|セゾンの歴史 下]] pp.208 - 210</ref>。開業当初は東海地方初のパルコ出店ということもあり名古屋方面からの来客も多くが来店したが、1990年代より岐阜市近郊には他の大型商業施設の開業が相次ぎ経営難に陥って2006年8月20日をもって閉店した。跡地はコイン・パーキングになっている<ref>{{cite news|url=https://www.kentsu.co.jp/webnews/html_top/120809300019.html|title=岐阜共栄が名鉄岐阜駅前の岐阜パルコ跡地を取得|newspaper=建通新聞|date=2012-08-09}}</ref>。
:
; [[大津PARCO]]