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{{otheruseslistOtheruses|地名としての東戸塚|東日本旅客鉄道の駅|東戸塚駅}}
'''東戸塚'''(ひがしとつか)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[戸塚区]]の北東部、[[東戸塚駅]]周辺の汎称地名である。元は山林であったが、[[1980年]]の新駅開業を機に商業・住宅地区として発展した。
 
== 地理 ==
東戸塚は[[町丁]]の名称としては存在せず、戸塚区[[前田町 (横浜市)|前田町]]・[[秋葉町 (横浜市)|秋葉町]]・[[名瀬町 (横浜市)|名瀬町]]・[[川上町 (横浜市)|川上町]]・[[品濃町]]・[[平戸町 (横浜市)|平戸町]]・[[上品濃]]の各一部が開発地域に相当する。
 
横浜市都市整備局では、品濃町の一部の59.2[[ヘクタール]]を「東戸塚駅東側地区」、川上町の一部の10.1ヘクタールを「東戸塚西地区[[地区計画]]」と定めている<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/chiikimachi/e-totuka/|title=市街地開発事業等の概要 東戸塚周辺地区|publisher=横浜市都市整備局|accessdate=2017-01-12}}</ref>。一帯の開発事業に際して、東戸塚前田・秋葉土地区画整理組合(329,000m<sup>2</sup>、[[1967年]]5月設立)、東戸塚名瀬下土地区画整理組合(481,900m<sup>2</sup>、[[1968年]]11月設立)、東戸塚長作土地区画整理事業(32,200m<sup>2</sup>、1968年7月設立)、東戸塚品濃中央土地区画整理組合(591,600m<sup>2</sup>、[[1970年]]6月設立)、東戸塚西土地区画整理組合(99,300m<sup>2</sup>、[[1978年]]12月設立)、東戸塚上品濃土地区画整理組合(258,000m<sup>2</sup>、[[1987年]]5月設立)の[[土地区画整理事業]]が行われた。
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== 歴史 ==
{{seeSee also|東戸塚駅#歴史|戸塚駅#歴史|戸塚区#歴史}}
[[東海道本線]][[保土ケ谷駅]]と[[戸塚駅]]の間は約9[[キロメートル|Km]]離れており、[[明治]]時代より駅の誘致運動が行われていた<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|p=23}}</ref>。[[1923年]](大正12年)には概ね現在の東戸塚駅に相当する位置に「武蔵駅」の設置が決定したが、同年9月1日に発生した[[関東大震災]]により実現しなかった<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|p=125}}</ref>。
 
[[1963年]]、元官僚の福原政二郎のもとに、この一帯の土地を売却したいという地主が現れた。横浜市等との協議により、民間主導の[[土地区画整理事業]]方式で住宅や商業施設、幹線道路の建設が行われることになった。[[1965年]]、「東戸塚総合開発計画」のマスタープランが策定された<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|pp=25-29}}</ref>。工事は前田・秋葉地区より着工し、長作、名瀬下、品濃中央、西地区と順次進められた<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|p=42}}</ref>。品濃中央地区はこの開発計画の中心にあたるエリアであるが、強硬な反対派と衝突寸前の一幕もあった。この地区は残土の排出量が多く、[[ダンプカー]]専用の仮設橋を架設するなどの対応がとられた。工事が完了したのは東戸塚駅開業当日、[[1980年]]10月1日の早朝であった<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|pp=44-45}}</ref>。
 
[[1981年]]9月にはマンション群「ニューシティ東戸塚」起工。翌[[1982年]]6月にはマンション第1号となる「ニューシティ東戸塚 南の街5号館」の入居が開始した<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|pp=123-124}}</ref>。[[横浜新道]]を挟んで北西側の上品濃地区は、[[市街化区域]]と[[市街化調整区域]]の線引きの際に、将来開発が可能なように保留とされた。学園の誘致などが検討されたが、戸塚区内に事業所を有する[[日立グループ]]の[[日立製作所]]ソフトウェア部門、[[日立ソフトウェアエンジニアリング]]、[[日立電子サービス]]の3社の進出が決まった。しかし[[バブル崩壊]]により日立グループが撤退し、開発は大きく遅れることとなった<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|pp=160-161}}</ref>。
 
東戸塚駅東口と[[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]との間の商業施設「[[オーロラシティ]]」は、当初は[[1983年]]の完成を予定していたが、自動車でのアクセスとなる環状2号線の完成を待ったため、開業は[[1999年]]にずれ込んだ<ref>{{harvHarv|新一開発興業|2010|p=149}}</ref>。
 
== 施設・進出企業等 ==
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東戸塚駅東口には、[[1999年]]に[[西武百貨店]]東戸塚店と[[ダイエー]]東戸塚店を核テナントとする「[[オーロラシティ]]」が開業した。[[ペデストリアンデッキ]]で駅に直結している。[[2016年]]3月にダイエー東戸塚店は[[イオン (店舗ブランド)|イオンスタイル]]に業態転換した<ref>{{Cite web |date=2016-2-10|url=http://toshoken.com/news/5459|title=ダイエー「旗艦店級」28店舗、3月1日からイオンに転換|publisher=都市商業研究所|accessdate=2017-01-12}}</ref>。
 
東戸塚駅西口には、[[1998年]]に[[生活協同組合コープかながわ]]をキーテナントとする[[東戸塚西口プラザ]]、[[2009年]]3月には[[東急ストア]]をキーテナントとし、[[エフエム戸塚]]の本社・スタジオが入る[[モレラ東戸塚]]を下層部に有する[[超高層マンション]]「BELISTAタワー東戸塚」が竣工した。街の開発に携わった新一グループも、BELISTAタワー内に本社を置く<ref>[http://www.shin1.co.jp/profile/index.html 会社概要](新一グループ)</ref>。
 
東戸塚駅周辺には[[横浜市立品濃小学校|品濃小学校]]、[[横浜市立東品濃小学校|東品濃小学校]]、[[横浜市立川上北小学校|川上北小学校]]、[[横浜市立平戸小学校|平戸小学校]]の市立小学校があり、中学校は[[横浜市立平戸中学校|平戸中学校]]、[[横浜市立秋葉中学校|秋葉中学校]]、[[横浜市立前田中学校|前田中学校]]の校区となる。[[横浜市立東戸塚小学校]]は戸塚駅の東側に位置し、東戸塚地区からは離れている<ref>{{Cite web |date=2013-12-25|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/gakku/index1.html#totsuka|title=小中学校通学区域|publisher=[[横浜市教育委員会]]|accessdate=2017-01-15}}</ref>。上品濃地区には分譲マンション「フォートンヒルズ」のほか、2015年に[[湘南医療大学]]が開校した。{{Main|東戸塚駅|品濃町}}