「2000年の中日ドラゴンズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
23行目:
 
== 概要 ==
11年ぶりの優勝を果たしたチームだが、オフには「韓国三銃士」の[[李尚勲|サムソン・リー]]がメジャー志望で退団すると、不動の守護神・[[宣銅烈]]が年齢からくる衰えを理由に退団。その穴埋めとして投手陣で[[メルビン・バンチ]]、[[エディ・ギャラード]]の2人を、打撃陣の強化を狙って[[デーブ・ニルソン]](ディンゴ)を獲得したが開幕からディンゴは不振にあえぎ、シーズン途中で解雇。宣・サムソン退団や[[門倉健]]の放出などから投手陣はエース・[[野口茂樹]]と[[山本昌]]がまずまずの成績をあげるものの、前年優勝に貢献した[[川上憲伸]]や[[武田一浩]]が不振にあえぎ、リリーフでも門倉放出で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]から獲得した[[小池秀郎]]や[[オリックス・バファローズ|オリックス]]から移籍した[[鈴木平]]は環境の変化に対応できず本来の力を発揮することはできなかった。打撃陣は[[山崎武司]]、[[レオ・ゴメス]]、[[立浪和義]]が例年通りの活躍を見せるも、2年間切り込み隊長だった[[李鍾範]]が成績不振などから外野にコンバートされた(李は起用法を不服として翌年に退団)。チームは投手陣の不調から4月を最下位で終えるものの、5月に大きく盛り返して首位に浮上。しかしそれ以降貯金をためることができず[[読売ジャイアンツ|巨人]]の独走を許した。それでも8月まで6.5ゲーム差で巨人に食らいつき、9月の天王山3連戦を迎えるが、バンチ・野口などの投手陣が3試合で29失点を喫して大敗。9月24日には敵地[[東京ドーム]]で4-0とリードするものの[[江藤智]]の満塁本塁打で追いつかれ、[[二岡智宏]]に優勝決定サヨナラ本塁打を浴び、[[1994年]]、[[1996年]]に続いて長嶋監督の胴上げを許した。結局2位でシーズンを了するが、このショックは大きく翌年以降の戦いぶりに影を落とすことなる。
 
== レギュラーシーズン ==