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== 生涯 ==
祖先は[[ブルターニュ]]出身で、父や祖父は海軍士官をつとめた。[[パリ]]で生まれ、生後1年3ヶ月で父を失う。[[1853年]]に[[高等師範学校 (フランス)|エコール・ノルマル・シュペリウール]]を卒業すると同時に、[[アテネ・フランス学院]]の研究生に選ばれ、2年間を[[アテネ]]で遊学した。この期間で彼がもっとも好んで訪れたのは[[キオス島]]であり、それは処女作「キオス島についての覚書」として結実した。帰国後、5年間を中学教師として過ごし、[[1860年]]には[[ストラスブール大学|ストラスブルク大学]]の教授に任命された。代表作『[[古代都市]]』(『La Cité Antique』)は、大学で行われた連続講義によるものであったが、当時クーランジュは無名で
== 方法 ==
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