「古代ギリシア」の版間の差分
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ギリシアでの[[青銅器時代]]は前3200年から3000年頃に始まったと考えられている。後期[[新石器時代]]に登場した青銅器は初期青銅器時代では一般的な遺物として発見されていないが、新石器時代に中心を成してきたギリシア北部からギリシア南部へと文化の中心が移動している。これは「地中海の三大作物」の[[オリーブ]]と[[ブドウ]]の栽培が要因と考えられ、これらの作物はギリシア南部における丘陵地帯での栽培に適していた。これらの作物から取れる[[オリーブオイル]]と[[ブドウ酒]]は交易品として高い価値を持っており、ギリシアがその後[[地中海]]の様々な地域と交易を結ぶための重要な資源となった。そして、この農業が確立したのが初期青銅器時代と想像されており、それまでの「たくわえる戦略」から「交換する戦略」への転換が見られる<ref name="G22-3">[[#桜井(ギリシア史)|桜井(2005)、pp.22-23]].</ref>。
初期青銅器時代はギリシア本土、クレタ島、[[キクラデス諸島]]の各地域での三時期区分による編年が確立されており、この時代に「ギリシアらしさ」がそれまでの時代
[[File:Kykladisch.JPG|thumb|200px|キクラデス諸島で発見された石偶]]
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このように中期青銅器時代には低迷を極めたギリシア本土であるが、後期青銅器時代に入った前1650年ごろ、ペロポネソス半島のミケーネに新たな文化が生まれる。これがいわゆる[[ミケーネ文明]]で、その文化は[[ペロポネソス半島]]にとどまらずギリシア中部にまで広がりを見せて行く。それに対してクレタ島におけるミノア文明は独自の発展を続けて、繁栄を極めていたが突如としてそれは終焉を迎える。これにはミケーネ文明の侵略が想定されており、ミケーネ文明はその後、エーゲ海、[[シチリア島]]、[[キプロス島]]へと広がりを見せて行く。そして[[線文字B]]も使われ、ミケーネ文明は発展を続けてゆくかに見えたが、ここで突如として[[前1200年のカタストロフ]]に襲われ、突如終焉を迎える。が、ミケーネ文明はすぐに死に絶えたわけではなく、その後の200年ほどその文化要素が残ったと考えられている<ref name="S25-6">[[#周藤・村田(ギリシアを知る辞典)|周藤、村田(2000)、pp.25-6]].</ref>。
== 鉄器時代 ==
{{main|前1200年のカタストロフ|暗黒時代 (古代ギリシア)|幾何学様式}}
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