「R.J.レイノルズ (野球)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
35行目:
{{by|1991年}}の開幕戦で6[[打数]]4[[安打]]と鮮烈なデビューを飾ると、[[8月1日]]の[[中日ドラゴンズ]]戦から[[8月4日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]戦にかけて、[[日本プロ野球]]記録となる11打数連続安打を達成({{by|2003年}}に[[高橋由伸]]が同じく達成して現在はタイ記録)するなど、シュアな[[打撃]]と強肩を活かした外野からの返球は他球団の脅威となった。このシーズンは、[[打率]]リーグ5位の.316、リーグ6位タイの80[[打点]]の活躍を見せ、[[外野手]]として[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]および[[ゴールデングラブ賞]]を獲得し、注目を浴びた。
 
{{by|1992年}}は他球団のマークもあり、打率.248と大きく成績を落とした。同年オフの11月11日に大洋球団は「横浜ベイスターズ」に球団名を変更したが<ref>『[[中日新聞]]』1992年10月9日朝刊第一運動スポーツ面27頁「横浜ベイスターズ 来月11日に球団名発表」</ref>、それに先んじて10月15日には翌{{by|1993年}}の新外国人選手として[[マイナーリーグ]][[ラウンドロック・エクスプレス|3Aエドモントン]]([[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]の傘下)から[[ロバート・ローズ]]獲得することを発表した<ref>『中日新聞』1992年10月16日朝刊第一運動スポーツ面27頁「大洋がローズ獲得」</ref>。ローズの獲得に伴いレイノルズは解雇されることが決まり<ref>『[[読売新聞]]』1992年10月16日[[読売新聞東京本社|東京朝刊]]スポーツA面21頁「大洋が米大リーグ、エンゼルスのローズ内野手を獲得/プロ野球」</ref>、[[自由契約]]となった。
 
{{by|1993年}}には[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]へ移籍し打率.298、18[[本塁打]]の成績を残すが、左投手に弱い点がネックとなり、シーズン後半は偵察要員起用の上で、右投手相手の試合だけ[[スターティングメンバー|スタメン]]出場することが多くなった。オフに再び自由契約となり、現役引退。