「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の版間の差分

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[[1960年]]には、[[ニーナ・シモン]]が同年夏のフェスティバルの[[演奏会|ライブ]]を録音したアルバム「[[:en:Nina Simone At Newport|At Newport]]」を発表した。
 
その一方で、この年は音楽に夢中になり荒れ狂ったファンが大騒ぎを起こし、[[州兵]]が会場に呼ばれる事態となってしまった。この騒動によってフェスティバルは中止の危機に追い込まれた。日曜の午後の[[マディ・ウォーターズによる[[ブルース]]の演奏後、フェスティバル会場で会議をしていた詩人の[[ラングストン・ヒューズ]]にこの情報が伝えられると、ヒューズは即興で“Goodbye Newport Blues”という歌詞を書き、ウォーターズのステージに持ち込んだ。そして、この詩を使った[[即興演奏]]がウォーターズのバンドによって披露されると自らステージ・アナウンスを行ったのだった。ヒューズのは、ウォーターズのピアニスト、[[オーティス・スパン]]によって歌われた。この演奏は前述のウォーターズのアルバムの最後に収録されている。
 
中止の危機にさらされながら、翌年の[[1961年]]にもフェスティバルは開催された。この年の主要な出演者には、雨で滅入っていた聴衆を"Pennies from Heaven"の演奏で喜ばせた[[デイヴ・ブルーベック]]や、[[キャノンボール・アダレイ]]などがいた。
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[[1973年]]、[[カーネギー・ホール]]で行われたフェスティバルにおけるエラ・フィッツジェラルドのパフォーマンスは、アルバム「[[:en:Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall|Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall]]」として発表されている。
 
このほかにも、[[カウント・ベイシー]]、[[レイ・チャールズ]]、[[ジョン・コルトレーン]]などが、ニュステポート・ャズ・フェスティバルで録音された演奏をアルバム化している。
 
日本人アーティストでは、[[19561957年]]出演の[[穐吉敏子]]をはじめ、[[1965年]]には[[弘田三枝子]]、[[1967年]]には[[原信夫]]とシャープス・アンド・フラッツ(共演:[[山本邦山]])、[[1968年]]には[[渡辺貞夫]]、[[1999年]]には[[松居慶子]]、[[2014年]]にはトランペット奏者の曽根麻央が出演している。
 
==会場==