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=== 王座陥落、怪我そして引退へ ===
同年8月4日にはホーベス・デラブースを15R判定で下して同王座の初防衛に成功する。しかし、翌年の1985年4月26日に[[ジェフ・フェネック]]に9RKOで敗れ同王座から陥落した。同年10月27日にIBF日本IBFの認定する[[スーパーフライ級]]王座の決定戦に出場。川島志伸を5RKOで下し日本王者になる。なお、川島志伸は元[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界スーパーフライ級王者である[[川島郭志]]の兄。
 
しかし1986年に、[[大腿骨]]が壊死する難病を発症し、当該部分の切除する手術を受ける。1989年にプロボクシング界に復帰。1990年1月30日にIBFインターコンチネンタルスーパーフライ級王座決定戦に出場。ロメオ・オプリサナに12R判定勝ちして地域王者になったが、同年に[[引退]]した。
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** 第5回[[全国高等学校総合体育大会|インターハイ]]ボクシング競技[[ライトフライ級]]優勝(1981年)
* プロボクシング
** 初代[[IBF日本IBF]][[スーパーフライ級]]王座(0度防衛)
** 初代[[国際ボクシング連盟|IBF]]インターコンチネンタルスーパーフライ級王座(0度防衛)
** 初代IBF世界[[バンタム級]]王座(1度防衛)