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::では引き続き議論をお願いいたします。--[[利用者:松本澪|松本澪]]([[利用者‐会話:松本澪|会話]]) 2020年1月8日 (水) 02:20 (UTC)
**{{返信|[[利用者:松本澪|松本澪]]さん}} コメント頂きありがとうございます。「主事→主査」の件、修正頂きありがとうございました。また、一部脚注を追記頂きありがとうございます。
::*[[岡田更生館事件#職員の甘言]]節、「1日3-4百円」と表記されるに至ったご事情は理解できました。74ページ、104ページ、115ページでそれぞれ異なる記載がされているということですので、もっとも中立な「104ページ」を根拠とし、当該箇所に脚注をつけて頂くのが、現状の解決策としてはもっとも簡単なものであると思います(私自身が大森の著作の現物を目にしていないため、私の方で脚注を付け替えることはあまり適切ではないと考えます)
::*[[岡田更生館事件#死の更生館]]節の「丸坊主」に関しては、ページ番号がない、という複雑な状況ではありますが、いずれにせよ「どこから引っ張って来た情報なのか」は明らかにしておいた方が良いと思われます。これももっとも簡単な解決策としては「丸坊主」という単語に、脚注形式で注釈を入れることかと思います。104ページから持ってこられた情報についても同様の方法が良いと考えます。
:::大森実の著作『挑戦』『エンピツ一本』において双方の食い違いや、『挑戦』の中ですら数字や情報に矛盾が発生している、という状況、Wikipedia的にはかなり重たい話です。当事者の著作にして、数少ない「書籍」資料である『挑戦』『エンピツ一本』が、<u>そもそも百科事典の出典として適切かどうか疑義がある</u>状況といえなくもない状況だと思います。極端な話、百科事典として「安全側に倒す」のであれば、大森の著作で食い違いや矛盾が起きている箇所については、信頼のおける「二次資料」が他に見つかるまでは記載を見送る、あるいはもう一歩踏み込んで、記事の出典としては極力大森の著作を用いない、ということにならざるを得なくなるかもしれません。また、本ノートの別の節ですでに松本澪さんご自身でご指摘のような「'''大森が話を誇張している可能性'''」についても、Wikipediaのいち編集者が判断できることではないかもしれませんが、頭の片隅につねに入れておく必要はありそうです。(大森の著作以外に、公刊された書籍でこの事件を詳しく扱ったものがあれば、そちらを出典として優先したいところですが、おそらくまだ殆どないのでしょうね・・・)--[[利用者:Rienzi|Rienzi]]([[利用者‐会話:Rienzi|会話]]) 2020年1月8日 (水) 10:54 (UTC)
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