「三笑亭夢楽」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
36行目:
幼少時代に[[馬賊]]に憧れていたことから、[[1942年]]より単身[[中国]][[北京]]へ移住。敗戦後帰国し、[[農林省]]開拓局に入局。
 
[[永井荷風]]を通じて[[正岡容]]を知り、その紹介で、[[1949年]]3月に[[古今亭今輔 (5代目)|5代目古今亭今輔]]に入門する。前座名は「'''今夫'''」。しかし、当の本人は[[新作落語]]、[[古典落語]]の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日[[柳家金語楼]]から渡された新作の台本を「[[八五郎|八っつぁん]]」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線の道に転向、[[1951年]]4月に新作中心の今輔門下から[[三笑亭可楽#8代目|8代目三笑亭可楽]]門下へ円満移籍。翌5月、[[二つ目]]に昇進し「'''夢楽'''」と改名。[[1958年]]9月、[[桂文治 (10代目)|10代目桂文治]]、[[春風亭柳昇]]、[[桂小南 (2代目)|2代目桂小南]]、[[三遊亭小圓馬]]、[[春風亭柳好#4代目|4代目春風亭柳好]]とともに[[真打]]に昇進。
 
『[[ん廻し|寄合酒]]』『[[三方一両損]]』『[[妾馬]]』などの長屋物を得意ネタとし、明るく軽妙で当意即妙な芸風から[[大喜利]]も得意とした。また、『[[お笑いタッグマッチ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、『[[ばつぐんジョッキー]]』([[CBCラジオ]])などの[[テレビ番組]]・[[ラジオ番組]]にも出演し、人気を集めた。