「ポール・フォーシェ」の版間の差分

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パリのノートルダム大聖堂ではなさそうだ(時系列の説明がうまくない気もするが手は付けない)。
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==来歴==
[[パリ]]で生まれ、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]で[[アレクサンドル・ギルマン]]と[[ポール・ヴィダル]]に学んだ。[[1904年]]に[[対位法]]と[[フーガ]]で[[{{仮リンク|プルミエ・プリ]]|en|First_Prize_(music_diploma)}}を得て卒業した後、ヴィダルの助手を務め、やがて[[和声|和声科]]クラスを受け持った。生徒には[[池内友次郎]]や[[{{仮リンク|ジャック・ド・ラ・プレル]]|en|Jacques_de_La_Presle}}、[[マルセル・ランドスキ]]、[[{{仮リンク|レイモン・ルシュール]]|en|Raymond_Loucheur}}、[[ピエール・デュポン (指揮者)|ピエール・デュポン]]、{{仮リンク|ルシアン・カイリエ|en|Lucien_Cailliet}}らがいる。
 
[[1910年]]にパリのサン・ピエール・ド・シャイヨ大聖堂([[:en:Église_Saint-Pierre-de-Chaillot|Église Saint-Pierre-de-Chaillot]])の楽長になり、また[[ヴェルサイユ]]の[[ヴェルサイユ・ノートルダム教会|ノートルダム教会]]や[[第一次世界大戦|第一次大戦]]中は[[オーブ県]][[バール=シュル=オーブ]]でオルガン奏者を務めた。
 
[[クリスマス・キャロル|ノエル]]や[[モテット]]、[[ミサ曲]]など[[宗教音楽|宗教曲]]を作曲したが、現在ではほとんど知られていない。[[1926年]]に作曲発表され[[ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団|ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団]]が初演したと推定される[[交響曲_(フォーシェ)|吹奏楽のための交響曲]]』({{lang|fr|Symphonie pour Musique d'Harmonie}})は現在でも演奏される。
 
フォーシェが著した和声法の課題集『{{lang|fr|Cinquante Leçons d'Harmonie}}』『{{lang|fr|Quarente Leçons d'Harmonie}}』は日本でもよく使われた。
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==主要作品==
===吹奏楽作品===
*[[交響曲_(フォーシェ)|吹奏楽のための交響曲]](''{{lang|fr|Symphonie pour Musique d'Harmonie}}'')
*:ジェイムズ・ロバート・ジレットとフランク・キャンベル=ワトソンがアメリカ式編成用に編曲して出版した際の『交響曲 変ロ長調』(''{{lang|fr|Symphony in B Flat}}'')のタイトルで知られている。