「考証学」の版間の差分

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また[[戴震]]が登場しなければ、当時の学問は、文献資料の収集と鑑定、個別考証の洗練という、乾隆期の文物に共通する「回遊庭園」風の姿だけに終わった可能性もあるとされる。この[[戴震]]がもたらしたのは学術活動が「学」としての集約性と方法的な構築性を持つに必要な基本的認識とプログラムである。
「清朝考証学」の研究対象は、「[[経書]]」のみならず、やがて[[史学]]・[[諸子学]]の書籍にもおよび、「[[経学]]」離れの様相を呈するに至ったが、上記の学術運動の形成が、漢代以来の「[[経学]]」の批判的解読に始まり、「[[経学]]」の改新を目指す形で起こったことは揺るがない事実であった<ref>{{Cite book|和書|author=木下鉄也|authorlink=木下鉄也|title=[[「清朝考証学」とその時代]]|publisher=[[創文社]]|origdate=1996-1-20|page=83|isbn=9784423194058}}</ref>
 
== 考証学の実証性 ==
考証学は、文献研究の方法として客観的な資料に基づく判断を尊重する合理性に根ざし、実証主義的であるとかれる。考証学は文字・[[音韻]]・[[訓詁]]を主体とした言語学的な方法論の整備を追求し、言語というものは間主観的に理解することのできる媒体であるために、学問としての実証性を内に備えることが出来た。
これらを踏まえた上で、[[銭大昕]]は経書解釈の基礎として実証主義とは相容れないはずの、儒学に対する形而上的認識を考証を合理的に行うための前提的な枠組みとしてあらかじめ組み込んでいた。
例えば、我々の近代科学と認識するものの根底には、[[形而上学]]を排斥する実証主義が存在するが、その大前提となるものは[[ニュートン]]によって与えられた、客観世界を時間的質量的に均質な普遍的存在とする科学的な「信仰」であった。実証主義にとっては、本来対象に対する認識がいかにして可能となるか、加えて認識の可能となる条件はいかにして整えられるかが問題とされ、そうした上ではじめて客観世界が時間的質量的に均質であることが証明されるべきであったが、その本質的な証明がないままに[[ニュートン]]以後は、それが自然科学的世界観として絶対化された。
ここで重要なことは、[[ニュートン]]によって与えられた客観世界が時間的質量的に均質であるという[[形而上]]的認識が支配したからこそ近代科学が成立し、今日に至る科学の展開を支える基礎が与えられたという構図となっている点である。要は実証主義の背後には形而上的認識が存在し、この形而上的認識を背景に据えていたからこそ対象への積極的なアプローチが可能となっていた。
つまり、考証学の実証性に対する、儒学としての[[形而上学]]的なものの存在を無視した評価は、考証学本来のすがたを正しく言い当てるものにはならず、[[儒学]]としての考証学がその客観的な経書解釈の方法論として訓詁・音韻の学を包摂することと、形而上学的な道の承認との間に矛盾はないとされる。
まさに[[形而上]]的な道の認識が、[[儒学]]としての考証学の[[訓詁]]・[[音韻]]に依拠する実証性を基礎付けていた。
[[銭大昕]]における考証学の実証性といわれるものは、言語という客観的・合理的ないわば啓蒙主義の申し子のような手段による方法論の整備と客観的な論理の組み立てに存していた。しかし逆説的であるが、それは[[形而上的]]な[[儒学]]の道の認識が基にあり、それに支えられていたとされる<ref>{{Cite book|和書|author=濱口富士雄|authorlink=濱口富士雄|title=[[清代考証学の思想史的研究]]|publisher=[[国書刊行会]]|origdate=1994-10-20|pages=240-241|isbn=4336036470}}</ref>