「多様性」の版間の差分

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== 社会科学・人文学における多様性概念 ==
[[社会科学]]や[[人文学]]([[人文科学]])において、多様性が社会の変化と発展に不可欠な要素とみられることがある。たとえば、グローバリゼーションなどにより、特定の文化や地域の持つ問題解決的発想の喪失などのデメリットが憂慮されることから、[[文化多様性]]・[[地域多様性]]などの概念が用いられている。また、[[価値観の多様性]]などの概念が用いられることもある。
 
2001年11月に採択された「文化的多様性に関する世界宣言」の第一条では、「生物的多様性が自然にとって必要であるのと同様に、文化的多様性は、交流、革新、創造の源として、人類に必要なものである。この意味において、文化的多様性は人類共通の遺産であり、現在及び将来の世代のためにその重要性が認識され、主張されるべきものである。」と規定されている。<ref>ダイバーシティ時代の行政学 第1章 ダイバーシティ時代の行政学 3ページ</ref>
 
フランス革命の思想的支えとなったルソーによると、国家は「一般意志」の下で形成される「一つの精神的な団体」であり、人間は国家の「政治的な身体」の一部として存在する。国家の名の下に人権は保障されるが、もしも統治者がに「お前が死ぬことが国家の役に立つのだ」というときには市民は死ななければならないという。実際国民国家が成立し、徴兵制が導入されていく歴史は、ルソーが描く国家と個人の関係と符号している。
ポストモダンの思想家ミシェル・フーコーは、「生権力」という概念を使って、多様な生を認めない社会に深く切り込んでいく。以前は、目に見える形で権力者が存在し、権力は、究極的には抵抗者を殺すことを目的として行使されてきた。しかし、国民国家においては、個人の生命を保証し増強させ社会に役立つことを要求する「生かす権力」の行使が行われるようになったとフーコーは主張する。例えば、マイナンバー制度によって国民について政府が保有している情報を一つの数字により一元的に管理することができれば、充実した公共サービスの提供にもつながるが、その便利さと引き換えに、政府が自分たちを数値的に処理することを国民は受け入れるのである。フーコーの議論は人間の生のあり方の多様性を否定する「生権力」への抵抗として理解することができる。
一方アマルティア・センは、平等論を展開する中で人間の多様性の大切さを説き、多様性こそが人間の基本であり、人間の同一性を前提として平等を考察すると重要な点を見落とすことになると主張する。例えば「所得の平等」を取り上げて、それを実現しても、そのことが「機会の不平等」をはじめとする様々な不平等を生んでしまうのである。このような問題意識から、センは「潜在能力(capability)」の平等を主張している。<ref>ダイバーシティの行政学 1章 ダイバーシティガバナンスとイノベーション 3-4ページ</ref>
 
歴史上の現象を紐解けば、交通の発達や何等かの要因によって、様々な[[思想]]・[[宗教]]・[[哲学]]・[[民族]]・[[人種]]が入り乱れて存在した地域には、必ずと言ってよいほどの社会的な変革が発生している。[[国家]]で例を上げるなら、[[アメリカ合衆国]]や[[オーストラリア]]等の[[移民]]国家であるが、その一方で[[イギリス]]等も広域に渡った[[植民地]]から様々な人種・民族が流入してきた結果、この多様性が発生している。{{要出典|date=2016年3月10日 (木) 05:00 (UTC)}}