「D.B.クーパー事件」の版間の差分

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2006年、2人のアマチュア研究者のダニエル・ドヴォラク ({{lang-en-short|Daniel Dvorak|links=no}}) とマシュー・マイヤース ({{lang-en-short|Matthew Myers|links=no}}) は、メイフィールドが被疑者であるという説を再び持ち出し、メイフィールドが犯人であることを示す状況証拠を収集したと断言した<ref name="Smith" /><ref name="RE">{{youtube|id=Dat-UPEB15M|title=D.B. Cooper Inside Edition segment (2007)}}、2011年2月24日閲覧。</ref>。2人は、メイフィールドがヒンメルバッハに電話した理由はアドバイスの提供を申し出るためではなく、[[アリバイ]]を作るためだったという仮説を立て、夜に原野へ飛び降りてから4時間もたたずにFBIに電話をかけるのは不可能であるというヒンメルスバッハの結論に異議を唱えた<ref name="RE" />。メイフィールドは事件への関与を否定し、クーパー事件の最中にFBIが自分に5回電話をかけて、パラシュートや地元のスカイダイバー、スカイダイビングの技術について質問してきたと以前に断言したことを繰り返し述べた<ref name="Smith" />。ただし、ヒンメルバッハによると、FBIからメイフィールドに電話をかけたことは一切なかったという{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=52}}。さらに、メイフィールドは、ドヴォラクとマイヤースが自分たちの説に同調することを持ちかけ、一緒に大金を稼ごうと誘ってきたと告発した。ドヴォラクとマイヤースはメイフィールドと内通したという話は見え透いた嘘であると述べた<ref name="RE" />。メイフィールドは2015年に死亡した<ref name="Smith" />。メイフィールドは早い段階で被疑者から除外されたというヒンメルスバッハの元の発言を除けば、FBIはメイフィールドについていかなる声明も出していない{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=51}}。
 
===リチャード・フロイド・マッコイ・ジュニア===
{{Main|リチャード・マッコイ}}
[[File:Richard McCoy, Jr..jpg|thumb|right|リチャード・マッコイ・ジュニア]]
 
リチャード・フロイド・マッコイ・ジュニア ({{lang-en-short|Richard Floyd McCoy, Jr.|links=no}}) は陸軍での兵役を経験した人物であり、最初は爆薬の専門家として、その後はグリーンベレーでヘリコプターの操縦士としてベトナムで2度の軍務を経験した<ref name="timemag">{{cite news|title=The Real McCoy|url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,943370-1,00.html|work=[[Time (magazine)|Time]]|publisher=|date=April 24, 1972|access-date=July 26, 2007}}</ref>。退役した後はユタ州兵の[[准士官]]になり、スカイダイビングを熱心に愛好した。自分にはユタ州警察官になる大望があったと述べている<ref name="SkydiverHeld">{{cite news|agency=Associated Press|title=Skydiver Held as Hijacker; $500,000 Is Still Missing|work=[[The New York Times]]|url=https://www.nytimes.com/1972/04/10/archives/skydiver-held-as-hijacker-500000-is-still-missing-skydiver-held-as.html|page=1|date=April 10, 1972|access-date=August 4, 2018}}</ref>。
 
1972年4月7日、マッコイはクーパーを模倣した事件を起こした。マッコイの犯行はクーパーを模倣した事件の中で最も知名度が高い<ref name="CrimeLibrary9">{{cite web|title=The D.B. Cooper Story: The Copycats|last=Krajicek|first=David|date=|url=http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/9.html|work=Crime Library|access-date=January 3, 2008|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080102145952/http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/9.html|archivedate=January 2, 2008|publisher=|deadlinkdate=April 20, 2019}}</ref> ([[#模倣犯]]を参照)。マッコイは[[コロラド州]][[デンバー]]で[[ユナイテッド航空]]855便 (ボーイング727、機体尾部にエアステアがある) に搭乗し、手榴弾と拳銃を見せ付けて脅迫し、4つのパラシュートと50万ドルを要求した。ただし、手榴弾はそれに似た形をしているだけのただの文鎮であり、拳銃は弾丸が装填されていなかったことが後で判明した<ref name="nymagtimeline" />。金とパラシュートが[[サンフランシスコ国際空港]]に届けられると、マッコイは再度離陸するように命令し、ユタ州[[プロボ (ユタ州)|プロボ]]上空でパラシュートによる降下を行った。機内には、ハイジャックの際に命令を記した手書きのメモと、読んでいた雑誌に付着した指紋という手掛かりが残っていた<ref>{{Cite web|url=https://www.fbi.gov/about-us/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy|title=Richard Floyd McCoy, Jr. - Aircraft Hijacking|accessdate=May 29, 2013|publisher=FBI|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160516043944/https://www.fbi.gov/about-us/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy|archivedate=May 16, 2016}}</ref>。後に筆跡の専門家が飛行機で見つかったメモの筆跡と軍務の記録にあったマッコイの筆跡を比較し、マッコイがメモを書いたと断定した<ref>{{cite web|title=Richard Floyd McCoy, Jr.|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy-jr|accessdate=7 December 2018|language=en-us|publisher=FBI|last=Motaher|first=Maria}}</ref>。4月9日にマッコイは逮捕された。逮捕されたとき、マッコイは身代金を所持していた。裁判では45年間の懲役という判決が下った<ref name="SkydiverHeld" />。2年後、マッコイはルイスバーグ州立刑務所に収監されていたが、数名の共犯者に刑務所の正門にごみ収集車を突っ込ませて脱獄した<ref>{{cite news|title=Widow of Man Linked in Book to Skyjacker D.B. Cooper Sues Authors, Provo Attorney|agency=Associated Press|page=B5|date=January 18, 1992}}</ref>。3ヵ月後に[[バージニアビーチ]]で追い詰められ、FBIの捜査官との銃撃戦の最中に死亡した<ref name="CrimeLibrary9" /><ref>{{Cite news|title=McCoy's Widow Admits Helping In '72 Hijacking|date=February 21, 1992|accessdate=February 21, 2011|url=https://www.deseretnews.com/article/211317/MCCOYS-WIDOW-ADMITS-HELPING-IN-72-HIJACKING.html|newspaper=Deseret News|first=Marianne|last=Funk}}</ref>。