「地下鉄サリン事件」の版間の差分

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===自衛隊===
[[陸上自衛隊]]では、警察に強制捜査用の[[化学防護服]]や機材を提供していた関係上、初期報道の段階でオウムによるサリン攻撃であると直ちに判断。事件後地下鉄内に残されたサリンの除去に、創設後初めて陸上自衛隊大宮化学学校教官と、化学防護小隊が当たった。事件発生29分後には[[自衛隊中央病院]]などの関係部署に出動待機命令が発令され、化学科職種である第1・第12師団司令部付隊(化学防護小隊)、[[中央特殊武器防護隊|第101化学防護隊]]、及び[[陸上自衛隊化学学校]]から教官数人が専門職として初めて実働派遣された。
 
そのうち第1師団において、午後12時50分鈴木東京都知事から陸上自衛隊第1師団長、杉田明傑陸将に対し「地下鉄霞ヶ関駅構内の有毒ガス除去のため自衛隊の災害派遣」を要請。
これにより、第1師団司令部付隊化学防護小隊(練馬・「以下司令部付隊省略」)が73式小型トラック+1/4tトレーラー1両、除染車3形(B)1両、化学防護小隊長以下6名が第1波として出動。
午後1時30分、霞ヶ関駅に到着、偵察(ガス検知器2型でサリンを検知)そして除染作業(化学兵器で汚染されたものを無害化することを「除染」という)を行なった。
以下細部状況として、第1師団化学防護小隊のエキスパート隊員は、防護マスクに化学防護衣を装着。ガス検知をした後、事件発生の霞ヶ関駅構内、駅長室までも、付着した有毒物質「サリン」を中和させる塩素酸ナトリウム溶剤(さらし粉、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)類)を携帯除染器2型(噴霧器)で散布。第2波の隊員合流後、松戸電車区(現松戸車両センター)などへも移動して夜中まで除染作業は続いた。
 
地下鉄サリン事件で、都知事からの要請があり、一番早く事件現場に駆けつけたのが練馬駐屯地に編成している第1師団の化学防護小隊(当時24名在籍、現在は第1特殊武器防護隊に改編)の生え抜き6名のスペシャリストであった。
 
他に事件現場の特性として、除染を行う範囲が広範囲であったため、[[第32普通科連隊]]を中心<ref group="注">本部管理中隊施設作業小隊を中心に要員を選抜。施設作業小隊は施設科に関する任務の他に部隊が生物兵器等に汚染された場合に備えて除染装置等が配備されており、部隊及び個人の除染に関する各種訓練を受けていたため。また各普通科中隊も化学防護衣等の運用に関して最小限の訓練を行っていた事も普通科部隊の派遣に繋がっている。</ref>とし各化学科部隊を加えた臨時のサリン除染部隊が編成され、実際の除染活動を行った<ref group="注">第101化学防護隊はサリンなどの神経ガスをはじめとした化学兵器についての知識や経験が豊富であり、[[核兵器]]・[[生物兵器]]・化学兵器(いわゆるNBC兵器)の防護技術に精通した日本最高のスペシャリストである。この事件がきっかけでその重要性が示されることとなった</ref><ref group="注">なお、派遣した隊員が出動から約8時間以上もの間、防護服を着用状態のため、尿意に対し対処できず、後に支給された戦闘用防護衣には排尿器(専用紙オムツ)が支給されることとなった</ref>。