「港区立青南小学校」の版間の差分

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戦時中の逸話として、[[山本五十六]]が戦死した際、校庭にて[[海行かば|海ゆかば]]の大合唱と共に<ref>[[朝日新聞]] 1943年5月23日 夕刊2面</ref>、その子女らが在学中、またかつて通っていた関係で、他校が著名な将官が亡くなると改称したのに倣い、一時「山本国民学校」と改称する案がでて、真剣に討議されたこともあった<ref>『歓暦 青南小学校第33回卒業生還暦記念誌』(渡辺汀編集, 1988年10月発行) p126</ref>。
 
戦後も当校から[[港区立青山中学校|青山中学校]] - [[東京都立日比谷高等学校|日比谷高校]]のコースを辿ることが、いわゆる[[千代田区立番町小学校|番町小]] - [[千代田区立麹町中学校|麹町中学校]]コースと並びに擬えて、[[東京大学|東大]]へ進学する[[エリート]]コースとされたこともあった。かように公立小御三家として「番町・白金・青南」などと謳われたこともあり、港区内では現在でも[[港区立白金小学校|白金小]]や[[港区立赤羽小学校|赤羽小]]などと並び、[[学区]]外からの[[越境通学]]者が多く、また著名人の子弟も見られる。
 
[[2006年]](平成18年)に創立100周年を、また、2016年には創立110周年を迎え、創立記念日の11月18日に記念式典が行われた。