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牟婁の由来である「室」は「周りを囲まれた所」を意味し、三方を山に囲まれた田辺湾を指す地名である。
 
広大な郡が成立した背景には辺境の地であり人口が少なく平地が乏しいという地理的要因が存在する。
==== 式内社中世 ====
 
三重県[[北牟婁郡]][[紀北町]]と[[尾鷲市]]、[[度会郡]][[大紀町]]の錦地区は、元は[[志摩国]][[英虞郡]]の一部であった。[[天正]]10年([[1582年]])に[[新宮城]]主の[[堀内氏善]]が、荷坂峠より南側のこれら地域を紀伊国牟婁郡に編入した。
==== 式内社 ====
『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]に記される郡内の[[式内社]]。
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=== 近世 ===
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** [[1月20日]] - [[郡区町村編制法]]の和歌山県での施行により、牟婁郡のうち、田辺城下ほか1町137村12浦に'''[[西牟婁郡]]'''が、新宮ほか1町165村6浦に'''[[東牟婁郡]]'''がそれぞれ行政区画として発足。三重県牟婁郡は存続。
** [[2月5日]] - 郡区町村編制法の三重県での施行により、牟婁郡のうち、木本浦ほか75村14浦に'''[[南牟婁郡]]'''が、尾鷲南浦ほか13村19浦に'''[[北牟婁郡]]'''がそれぞれ行政区画として発足。同日牟婁郡廃止。
==== 式内社 ====
『[[延喜式]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]に記される郡内の[[式内社]]。
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== 脚注 ==