「若松勉」の版間の差分

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ヤクルト監督時代は7年間でAクラス4回(連続)、優勝・日本一1回という結果を残した。若松はヤクルト球団史上初となる生え抜きの優勝監督であり、現時点ではヤクルトで選手・コーチ・監督の全ての立場でリーグ優勝と日本一を経験した唯一の人物でもある。若松の下でプレーした選手はおおむねその人柄を慕うとともに指導者としての手腕を高く評価しており、[[古田敦也]]は「この人を勝たせてあげないといけないと思ってしまう監督」と語り<ref>{{Cite book|和書|title=日本プロ野球平成の名将―1989-2012 : "平成"を戦い抜いた83人の監督列伝|series=B.B.MOOK ; 869. スポーツシリーズ ; No.739|publisher=ベースボールマガジン社|year=2012|page=76|isbn=9784583619118}}</ref>、[[アレックス・ラミレス]]は特に尊敬する監督として来日時の監督であった若松の名を挙げている<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/06/kiji/K20141006009056460.html ラミちゃん引退…NPB復帰かなわず 夢は監督で「日本一」] - 2014年10月6日</ref>。
 
[[2006年]]より、[[フジテレビジョン]]([[2008年]]まで)・[[北海道文化放送]]・[[ニッポン放送]]解説者・[[サンケイスポーツ]]評論家に就任。[[2009年]][[1月13日]]、[[野球殿堂 (日本)|野球殿堂]]表彰者選考に於いて競技者部門のプレーヤー表彰で選出され、野球殿堂入りを果たした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090114-449847.html 若松勉氏殿堂入り「小さな大打者」に勲章]日刊スポーツ2009年1月14日</ref>。同年[[7月12日]]神宮球場で行なわれたヤクルト対横浜戦は[[徳仁|皇太子徳仁親王]]一家が観戦した[[台覧試合]]となり、ヤクルトOBの若松が解説役を務めた。[[12月3日]]には若松の野球殿堂入りを祝うパーティーが行われ、[[加藤良三]]コミッショナー、[[王貞治]]、[[長嶋茂雄]]、金田正一、中西太、古田敦也、岩村明憲、五十嵐亮太、青木宣親ら約1,100人が出席した。
 
[[2011年]]にはヤクルトの浦添キャンプで臨時打撃コーチを務めた<ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/110122/bsf1101220505000-n1.htm |title=燕臨時C・若さん、浜中&武内再生させる! |newspaper=SANSPO.COM |publisher=産経デジタル |date=2011-01-22 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20110125165120/http://www.sanspo.com/baseball/news/110122/bsf1101220505000-n1.htm |archivedate=2011年1月25日}}</ref>。