「項元汴」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
天夜叉 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
{{記事名の制約|title=項元汴}}
[[File:項元汴.jpg|thumb|250px|項元汴]]
'''項 元汴'''(こう げんべん、[[嘉靖]]4年([[1525年]]) - [[万暦]]18年([[1590年]]))))、[[中国]][[明代]]後期の[[書画]]収蔵家として知られる。字は子京。号は墨林・墨林山人・香巌居士・退密斎主人・恵泉山樵、室号を'''天籟閣'''とした。嘉興府秀水欈李(現在の[[浙江省]][[嘉興市]][[秀洲区]])の人。
 
元汴の家は恒産を持っていて富裕であり、[[国子監|国子監生]]となって地方官僚の経歴がある。書画を好み[[山水画]]や[[花卉画]]を得意とした。書・名画・金石・遺文などを天籟閣に集め、明代屈指の[[収集家|収蔵家]]として知られ、[[鑑賞家]]としても評判が高かった。その蔵書は極めて精妙なコレクションであり、[[宋代]]の古書籍に出会うとすぐに[[文彭]]・[[文嘉]]兄弟を呼び寄せて鑑定にあたらせるほどの力の入れようだった。また[[仇英]]や[[董其昌]]などは項のコレクションに出会い、自らの芸術に開眼している。項の収蔵品は今日にも名品が伝わるが美観を損ねるほどの夥しい[[印章|印顆]]を書画に捺しており後世の鑑賞家・[[好事家]]からは不興を買っている。
字は子京、号は墨林・墨林山人・香崖居士・退密齋主人、室号を'''天籟閣'''とした。
 
項の家は恒産を持っていて富裕であり、[[国子監|国子監生]]となって地方官僚の経歴がある。書画を好み[[山水画]]や[[花卉画]]を得意とした。法書・名画・金石・遺文などを天籟閣に集め、明代屈指の[[収集家|収蔵家]]として知られ、[[鑑賞家]]としても評判が高かった。その蔵書は極めて精妙なコレクションであり、[[宋代]]の古書籍に出会うとすぐに[[文彭]]・[[文嘉]]兄弟を呼び寄せて鑑定にあたらせるほどの力の入れようだった。また[[仇英]]や[[董其昌]]などは項のコレクションに出会い、自らの芸術に開眼している。項の収蔵品は今日にも名品が伝わるが美観を損ねるほどの夥しい[[印章|印顆]]を書画に捺しており後世の鑑賞家・[[好事家]]からは不興を買っている。
 
'''収蔵印'''は、天籟閣・項元汴印・墨林山人・項墨林鑑賞章・桃里・墨林堂・子京珍蔵・項叔子・寄倣・子孫永保・子孫世昌・神游心賞・退密・浄因菴主・項子京家珍蔵などが知られている。
 
収蔵品をもとに『天籟閣帖』を刊行している。詩集に『墨林山堂詩集』。画論『蕉九録』は偽託書とする説が有力である。
 
晩年は[[禅]]に帰依している。 兄の[[項篤寿]]、子の[[項徳新]]、孫の[[項聖謨]]も画をよくした。長兄の[[項元淇]]、長男の[[項徳純]]も能書をよくした。
 
== 出典 ==
19 ⟶ 17行目:
[[category:中国の文人]]
[[Category:明代の人物]]
[[category:居士]]
[[Category:中国の画家]]
[[Category:中国の詩人]]