「ダグラス・マッカーサー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
584行目:
:(マッカーサー将軍:はい。太平洋において、我々は、彼らを回避して、これを包囲しました。(中略)・・・日本は産品がほとんど何もありません、蚕を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障(security)によるものでした。原材料、すなわち、日本の製造業に必要な原材料、これを提供する国々である、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と奇襲の優位により日本が占領していました。日本の一般的な戦略方針は、太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、我々がその全てを奪い返すには多大の損失が生じると思わせることによって、日本が占領地から原材料を確保することを我々に黙認させる、というものでした。これに対して、我々は全く新規の戦略を編み出しました。日本軍がある陣地を保持していても、我々はこれを飛び越していきました。我々は日本軍の背後へと忍び寄り、忍び寄り、忍び寄り、常に日本とそれらの国々、占領地を結ぶ補給線に接近しました。)|p.170|General Macarthur Speeches & Reports: 1908-1964<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=F-ILUHbWtncC General Macarthur Speeches & Reports: 1908-1964] 出版社: Turner Pub Co (2000/06)、ISBN 1563115891、ISBN 978-1563115899、発売日: 2000/06</ref>
}}
[[秦郁彦]]は、[[小堀桂一郎]]などの東京裁判批判を行う論客たちがこの発言の一部分抜き出して「(マッカーサーが太平洋戦争を)自衛戦争として認識していた証拠」として取り上げる論点であると指摘している<ref>{{cite book|和書|author=秦郁彦|title=陰謀史観|year=2012|pages=136-137|ISBN=978-4-10-610465-7}}</ref>。小堀はこの個所を「これらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分がsecurity([[安全保障]])の必要に迫られてのことだつたのです」と訳している<ref>小堀『東京裁判 日本の弁明』、[[講談社学術文庫]]、1995年8月</ref><ref>『正論』1月号解説 牛田久美(原文41-65頁)</ref>。また、米国人の[[ケント・ギルバート]]は、「日本の戦争は、安全保障(自衛)が動機だった」と訳している<ref>[http://megalodon.jp/2014-1124-1942-52/www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141118/dms1411181140003-n1.htm 【反撃せよ!ニッポン】創作された「歴史」の修正を主張する時期に来た K・ギルバート氏(1/2ページ)] 2014.11.18 [[夕刊フジ]]</ref>。<!--{{要出典範囲|date=2015年6月19日 (金) 00:41 (UTC)|また[[朝鮮戦争]]この演説本格化した頃に太平洋争時の日本打倒の例を引き合いに出しなら、担っていた満州地域での[[ソ連]]の[[南下政策]]や中国を海空からや朝鮮経済封鎖共産主義ゲリラ勢力と対峙する役割を、日本軍替わって屈服させること米国の若者でき担わざだろをえなくなった事に対して「我々は戦と主張する相手を間違えめの発言であり、日本の戦争姿勢が1930年代に何弁護する意図はなしようとしてたのか、ようやく理解できた」と部下に呟いたといわれている}}----->
 
 
 
<!--{{要出典範囲|date=2015年6月19日 (金) 00:41 (UTC)|また[[朝鮮戦争]]が本格化した頃には、戦前の日本が担っていた満州地域での[[ソ連]]の[[南下政策]]や中国や朝鮮の共産主義ゲリラ勢力と対峙する役割を、日本軍に替わって米国の若者が担わざるをえなくなった事に対して「我々は戦う相手を間違えた。日本が1930年代に何をしようとしていたのか、ようやく理解できた」と部下に呟いたといわれている}}。----->
 
<!--