「鎌田正」の版間の差分

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==生涯==
[[福島県|福島県(相馬市馬場野)]]の渡部(わたのべ)家に生まれ鎌田家へ養子に入る。1937年[[東京文理科大学]]漢文学科卒、助手、1938年[[東京高等師範学校]]教諭、1945年[[教授]]、1949年[[東京教育大学]][[助教授]]、1957年教授、1961年「[[左伝]]の成立と其の展開」で東京教育大学[[文学博士]]。1974年[[定年]]退官、[[名誉教授]]、[[東洋学術研究所]]長、[[東京成徳短期大学]]副学長。1983年[[勲三等]][[旭日中綬章]]受勲。2001年[[秋山虔]]、[[米山寅太郎]]とともに[[宮内庁]]の委嘱を受け、[[皇太子徳仁親王]]の長女・[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]の名前、[[御称号]]案を[[天皇]]に上申した「勘進者」となった。[[諸橋轍次]]『[[大漢和辞典]]』の修訂版を米山寅太郎とともに編纂した。2008年6月13日、虚血性[[心不全]]のため97歳で死去<ref>[http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061301000461.html 鎌田正氏死去 東京教育大名誉教授] 47news 2008年6月13日</ref>。弟に渡部信(まこと)(財務省財務局関東財務局長、アメリカンファミリー生命保険会社初代日本代表)、甥に渡部忍(わたのべしのぶ)(青森県農村医学会会長、日本農村医学会会長、日本警察医会会長)がいる。
 
==著書==