「ジョン・トラボルタ」の版間の差分

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== キャリア ==
トラボルタはニュージャージー州にあるドワイト・モロー高校に通っていましたが、1971年に17歳で中退しましたする[12]その後、ニューヨークに移って[[ブロードウェイ]]のミュージカルに出演するようになる。その後してロサンゼルスに移り、[[1975年]]スタートのTVシリーズ『[[W:Welcome Back, Kotter|Welcome Back, Kotter]]』のレギュラー出演を経て、[[1976年]]の『[[キャリー (1976年の映画)|キャリー]]』で本格的な映画デビューを果たす。
 
[[1977年]]に主演した青春映画『[[サタデー・ナイト・フィーバー]]』のヒット、及び[[アカデミー主演男優賞]]へのノミネートにより、スターとなった。その後も、『[[グリース (映画)|グリース]]』(1978)、『アーバン・カウボーイ』(1980)のヒットでさらに人気を高めた。しかしその後、1983年の『[[ステイン・アライブ]]』(『サタデー・ナイト・フィーバー』の続編)が酷評され、『セカンド・チャンス』などが興行的に失敗するなど、一時期役に恵まれなかったが、彼の大ファンだった[[クエンティン・タランティーノ]]監督の『[[パルプ・フィクション]]』(1994)のヴィンセント役で'''復活'''をし、安定した幅の広い演技力を評価され、映画自体もアカデミー脚本賞、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞(後述欄)、再び大スターの地位を安泰なものにした。
 
その後、『[[ゲット・ショーティ]]』(1995)で[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)]]を受賞する一方で、[[2000年]]には自ら製作者としても携わったSF映画『[[バトルフィールド・アース (映画)|バトルフィールド・アース]]』が興行的に失敗、[[2001年]]の[[第21回ゴールデンラズベリー賞]]の主要部門をほぼ独占する、という不名誉な結果も受けている。