「天皇記」の版間の差分

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また、この年が推古天皇の実父(聖徳太子には祖父)にあたる[[欽明天皇]]の50年忌にあたることから、同天皇の顕彰とその正統性を示すことを目的に[[皇統譜]]の整理を意図して行われたとする説もある<ref>笹川尚紀「推古朝の修史に関する基礎的考察」 所収:笠原永遠男・西山良平・吉川真司 編『律令国家史論集』(塙書房、2010年)ISBN 978-4-8273-1231-7 後、笹川『日本書紀成立史攷』(塙書房、2016年)ISBN 978-4-8273-1281-2 に所収</ref>。
 
[[645年]]([[斉明天皇|皇極]]5年)に起きた[[乙巳の変]]の際に、[[蘇我馬子]]の子である[[蘇我蝦夷]]の家が燃やされ、そのとき『国記』とともに焼かれたとされる。あるいは国記のみが焼ける前に取り出されて残ったともいわれるが、国記も現存していない。
 
『日本書紀』皇極4年6月条に次のようにある。