「在香港日本人」の版間の差分

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| 画像 = [[ファイル:Sogo Causeway.JPG|230px]]
| 画像の説明 = [[銅鑼湾]]中心部に位置する[[そごう]]
| 人口 = 2725,429705(2015<br>(2018現在、日本国籍保有者のみ)<ref name="mofa">[httphttps://www.mofa.go.jp/mofaj/filestoko/000162700page22_000043.pdf]html 海外在留邦人数調査統計 統計表一覧 (平成27年(2015年)10月1日現在)| 外務省]</ref>
</ref>
| 居住地 = [[跑馬地]]・[[紅磡]]・[[沙田]]・[[太古城]]・[[大埔区|大埔]]
| 言語 = [[日本語]]・[[英語]]・[[広東語]]・[[普通話]]
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[[第二次世界大戦]]からの復興に伴い、日本による海外への投資が盛んに行われるようになり、その結果、香港における日本人住民が増加することとなった。[[1966年]]には[[香港日本人学校]]が設立され、[[1987年]]6月には[[日本語新聞]]『[[香港ポスト]]』が創刊された。
[[File:Entrance and exit D1 of Whampoa Station.jpg|thumb|right|220px|[[イオン (店舗ブランド)|イオン]][[黄埔駅 (香港)|黄埔駅前店]]([[紅磡]])]]
[[1981年]]から[[1999年]]にかけて、香港における日本人の人口は、7,802人から23,480人と、約3倍に増加するなど、[[ロンドン]]や[[ニューヨーク]]などと似たような傾向が見られた。これに伴う形で、日本企業の数もうなぎ上りに増え、[[1988年]]から[[1994年]]にかけて1,088社から2,197社へと約2倍に増加した。<!-- 書かれている数字が外務省のデータと一致しないのでコメントアウトします --><!-- その後は、[[中華人民共和国|中国本土]]における[[改革開放]]と、[[1997年]]の[[香港返還|主権移譲]]に伴い、本土への経済統合が加速したことから、多くの日本企業が[[深セン市|深{{lang|zh|圳}}]]と[[広州市|広州]]に機能を移転した。その結果、香港の日本の人口は[[1999年]]のピークを期に減少し、[[2001年]]には14,100人にまで落ち込んだ。しかし、すぐに増加傾向に戻り、[[2006年]]には27,000270人となった<ref>[http://www.hk.emb-japan.go.jp/chi/news.html 在香港日本国総領事館]<name="mofa"/ref>。 -->
 
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| caption=香港の在留日本国籍保有者の推移<ref name="mofa"/>
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}}
}}
 
[[中華圏]]の都市の中では[[上海市]]の次に在留日本国籍保有者が多い<ref name="mofa"/>。
 
== 脚注 ==