「楊一清」の版間の差分

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[[陝西省|陝西]]馬政の整理など、辺境防衛に尽力し、[[都察院]]右都御史に進んだ。一時致仕したものの、間もなく招聘され、[[安化王の乱]]の平定など、主に陝西方面の軍務を担当して、辺事の第一人者と称された。
 
後に[[吏部]]尚書・華蓋殿[[内閣大学士|大学士]]に任じられて後に内閣首輔に昇進するが、功績はあったとは言え内閣首輔に昇るためには一定の昇進経路があり、それに属していない楊一清の抜擢は異例であった<ref name=iwamoto>{{Harvnb|岩本真利絵|2019|pp=107・126|loc=「嘉靖六年年末の内殿儀礼改定」『明代の専制政治』(京都大学出版会、2019年)P107・126.}}</ref>。しかし、[[大礼の議]](大礼の議当時は致仕しており、政争に巻き込まれなかった<ref name=iwamoto/>)の後始末を行う過程で[[嘉靖帝]]の意に反し、また政治的な意見対立から[[張璁]]に近いとされた[[桂萼]]や[[郭勛]]を失脚させた<ref>{{Sfn|岩本真利絵|2019|pp=181-182|loc=「嘉靖朝における勲臣の政治的立場-武定侯郭勛を例に」『明代の専制政治』(京都大学出版会、2019年)P181-182.</ref>}}。そのため、張璁と激しく対立した上に、[[霍韜]]によって楊一清が先年没した宦官の[[張永]]の遺族から賄賂を受けていたことを告発されたために辞任に追い込まれて憤死した<ref>{{Sfn|岩本真利絵|2019|pp=142-143|loc=「嘉靖十年の大臣召対再開」『明代の専制政治』(京都大学出版会、2019年)P142-143.</ref>}}
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|last=岩本|first=真利絵|title=明代の専制政治|publisher=京都大学出版会|year=2019|isbn=978-4-8140-0206-1}}
 
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