「ヨハネス21世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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[[リスボン]]で生まれたとされ、[[リスボン大聖堂]]内の神学校で教育を受けた。後に[[パリ大学]]に入った(一部の歴史家は彼が[[モンペリエ大学]]で学んだと主張する)。
[[1245年]]から[[1250年]]にかけ、ペドロ・ヒスパノ([[ヒスパニア]]で知られる[[イベリア半島]]出身の為こう呼ばれた)で知られ、[[シエナ大学]]で薬学を教えた。彼はこの地で『論理学綱要』(''Summulae
1276年[[8月18日]]の[[ハドリアヌス5世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス5世]]の死後、ペドロは9月13日に[[コンクラーヴェ]]で教皇に選出された。彼の短い治世は、強力な枢機卿ジョヴァンニ・ガエターノ(ヨハネス21世の後継の教皇、[[ニコラウス3世 (ローマ教皇)|ニコラウス3世]]となる)が代わりに政治を取り仕切っていた。ジョヴァンニは聖地への[[十字軍]]結成の為、[[正教会]]とカトリックの合同とキリスト教国の平和を保とうと努力した。しかし、[[タタール|タタール人]]を改宗させようと働きかけたが、成果はなかった。
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[[ダンテ・アリギエーリ]]は『[[神曲]]』の中で、偉大なる宗教学者の魂と共に太陽の天空でヨハネス21世と面会した話を書いた。
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ヨハネスが執筆した『論理学綱要』は「ヨーロッパの13世紀に刊行されたもっとも典型的なスコラの論理学書」として、「中世の大学の教養コースで数百年にわたって使用され、数百版を重ねた著名なテキスト」であり、今日中世ヨーロッパの学問の基礎を理解するための必読書とされる<ref>{{Cite book|title=『ヒスパーヌス論理学綱要』|year=1981年|publisher=京都大学人文科学研究所|author=山下正男(訳)|date=|page=i}}</ref>。
性交の前後の避妊法に関する最も包括的な指南書の一つが「ペドロ・ヒスパノ」によって書かれており、彼は産児制限に関する助言と月経を起こす方法とを彼の著名な『貧者の宝』(羅:Thesaurus Pauperum)で述べている。ペドロ・ヒスパノの説明する方法の多くは現代の研究でも非常に効果的なものとされており、古典古代の女性は以前考えられていたよりも産児をよく制限していたと近年では考えられている<ref>Riddle, 1994.</ref>。しかし、『貧者の宝』の著者が本当に教皇ヨハネス21世と同一人物であったかは不明である。▼
==医学==
▲性交の前後の避妊法に関する最も包括的な指南書の一つが
他にも、彼の眼を研究した著作が現存している。
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