「モーリス・ドニ」の版間の差分

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ドニはアカデミーで[[ポール・セリュジエ]]、[[ピエール・ボナール]]ら、将来の[[ナビ派]]のメンバーとなる画家仲間と出会った。また、ボナールを通じて、これもナビ派のメンバーとなる[[エドゥアール・ヴュイヤール]]、[[ケル・グザヴィエ・ルーセル]]とも出会った。[[1890年]]、彼らはナビ派を結成した。「ナビ」とは預言者の[[ヘブライ語]]であり、自分たちが新しい表現の形を作り出すという意思の表れだった。1890年代末までにグループは分裂したが、ボナールやヴュイヤールの作品には後まで影響を残し、グループ外の[[アンリ・マティス]]などにも影響を与えた。
 
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[[ファイル:Maurice Denis Homage to Cezanne 1900.jpg|thumb|300px|『[[セザンヌ礼賛]]』1900年。[[オルセー美術館]]]]
 
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ナビ派分裂後、ドニは宗教的な主題と[[壁画]]に傾倒するようになる。1922年にはそれまでに発表した論文をまとめ、『現代美術と宗教美術に関する新理論』と題する本を出版した。
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*「踊る女たち」1905年(国立西洋美術館)
*「波」1916年([[大原美術館]])
 
== ギャラリー ==
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File:MauriceDenis-TriplePortraitDeMartheFiancee.JPG|riple portrait de Marthe fiancée(1892)
File:Female bathers at Perros-Guirec, by Maurice Denis.jpg|(c.1912)
File:MauriceDenis-LaPrincesseDansLaTour.JPG|(1914)
File:MauriceDenis-LEchelleDansLeFeuillage.JPG|(1892)
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== 脚注 ==