「モンマルトル」の版間の差分

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== モンマルトルの現在 ==
[[画像:Montmatre bordercropped.jpg|thumb|left|200px|モンマルトルの階段]]
[[モンマルトル美術館]]は、モーリス・ユトリロ、シュザンヌ・ヴァラドンがアトリエを構えていた'''ベレール邸'''に入っており、ブドウ畑時代から[[エコール・ド・パリ]]に至るモンマルトルの文化・歴史を知ることができる。美術館のもう一つの建物で主に企画展に使われる'''ドゥマルヌ邸'''(2012年に改修)は[[モリエール劇団]]の{{仮リンク|ロジモン|fr|Rosimond}}こと、クロード・ド・ラ・ローズ (1640(1640-1686) 1686)や画商ジュリアン・フランソワ・タンギー(ゴッホ作『[[タンギー爺さん]])が住んでいたことで知られる。ベレール邸もドゥマルヌ邸もモンマルトルで最も古い館であり、ルノワールはこの敷地に[[1875年]]から[[1877年]]まで住み、『[[ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会]]』(1876)、『[[ぶらんこ (ルノワールの絵画)|ぶらんこ]]』(1876)、『モンマルトルのコルトー通りの庭』(1876) などを制作した。他にも[[エミール・ベルナール (画家)|エミール・ベルナール]]、[[ラウル・デュフィ]]、{{仮リンク|シャルル・カモワン|fr|Charles Camoin}}、などがここにアトリエを構え、詩人の[[ピエール・ルヴェルディ]]、作家の{{仮リンク|レオン・ブロワ|fr|Léon Bloy}}<!--、ゴッホの『[[タンギー爺さん]]』で知られる画商ジュリアン・フランソワ・タンギー-->などもここに住んでいた。
 
有名な画家の多くが[[モンマルトル墓地]]やサン・ヴァンサン墓地に葬られている。モンマルトル墓地はモディリアーニが自殺した場所でもある。
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日夜、多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いている。映画『[[アメリ]]』の公開後は[[ロケ地めぐり]]の観光客も増加した。サクレ・クール寺院へは丘の南麓から[[フニクレール]]と呼ばれる[[ケーブルカー]]が観光客を乗せて運行されている。
 
モンマルトルは歴史地区に指定され、その歴史的景観や特徴を保持するため開発は最小限度しか許可されない。バルベ地区ス界隈は移民が多く、[[アフリカ]]や[[アラブ]]の物産が手軽に買えるが[[治安]]はあまり良くない。一方、モンマルトルの西南麓のピガール地区界隈はパリ随一の猥雑な[[歓楽街]]・[[風俗街]]で、[[風俗店]]や[[アダルトビデオ]]店、[[アダルトショップ]]などが並んでいることでパリ市民には有名である。
 
==脚注・出典==