「諸聖人の日」の版間の差分

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また、[[正教会]]は[[ペンテコステ|五旬祭]]後第1[[主日]]を「'''衆聖人の主日'''」<ref>[http://orthodox-hakodate.jp/wp/wp-content/uploads/2017/06/287a04f9120ca6fc168a2e2a52ea5e20.pdf 6月の奉事・行事予定 函館ハリストス正教会] 2017</ref>(しゅうせいじんのしゅじつ、{{Lang-el|Κυριακή των Αγίων Πάντων}}<ref>[http://www.xfd.gr/%CE%B5%CE%BF%CF%81%CF%84%CE%BF%CE%BB%CF%8C%CE%B3%CE%B9%CE%BF/%CE%BA%CF%85%CF%81%CE%B9%CE%B1%CE%BA%CE%AD%CF%82/%CE%B1%CF%80%CF%8C%CF%83%CF%84%CE%BF%CE%BB%CE%BF%CF%82/%CE%BA%CF%85%CF%81%CE%B9%CE%B1%CE%BA%CE%AE-%CF%84%CF%89%CE%BD-%CE%B1%CE%B3%CE%AF%CF%89%CE%BD-%CF%80%CE%AC%CE%BD%CF%84%CF%89%CE%BD-2# {{Lang|el|Κυριακή των Αγίων Πάντων|Χριστιανική Φοιτητική Δράση}}]</ref>, {{Lang-ru|День всех святых}}<ref>[http://www.pravmir.ru/den-vsex-svyatyx/ {{Lang|ru|День Всех святых : Православие и мир}}]</ref>)として祝っているが、これは年ごとに[[復活大祭]]に合わせて祭日が変化する移動祭日であってしかも5月か6月にあたり、カトリックの「諸聖人の日」とは日付が大きく異なる<ref>[http://www.eortologio.gr/arthra/pasxa.php {{Lang|el|Υπολογισμός της ημέρας του Πάσχα, κινητών εορτών και άλλων βασικών αργιών}}]</ref>。
 
== 歴史 ==
一年のうちのある一日にすべての聖人と殉教者を祝う習慣が始まったのは[[4世紀]]ごろであった。もともとこの習慣は[[アンティオキア]]で始まったようである。アンティオキアでは[[ペンテコステ]]のあとの最初の日曜日が諸聖人の祝日となっていた。[[金口イオアン]]の[[407年]]の説教の中にも諸聖人の祝日への言及がみられる。アンティオキアなど東方で行われていたこの習慣が、西欧に伝わったものが、諸聖人の日とされる。
 
[[カトリック教会]]における諸聖人の祝日の制定の起源に関しては、[[609年]][[5月13日]]、[[教皇]][[ボニファティウス4世 (ローマ教皇)|ボニファティウス4世]]が異教の神殿であった[[ローマ]]の[[パンテオン (ローマ)|パンテオン]]を[[聖母マリア]]と殉教者のためにささげ、それ以来5月13日が聖母と殉教者たちの祝い日となったという説がある。中世の研究者たちは、5月13日が古代のローマの宗教では[[ラミュレス]]といわれるさまよう死者の魂をなだめる日であったため、このラミュレスの日がキリスト教的に再解釈されて諸聖人の日になったと考えたが、現代ではこの説はあまり受け入れられていない。現代の研究者たちが有力と考えているのは、8世紀前半の教皇[[グレゴリウス3世 (ローマ教皇)|グレゴリウス3世]]が[[サン・ピエトロ大聖堂]]の中に[[使徒]]とすべての聖人・殉教者のための小聖堂をつくり、その聖堂の祝別の日が11月1日にうつされたことでやがて11月1日がすべての聖人と殉教者の日となったというものである。記録によれば、[[カール大帝|シャルルマーニュ]]の時代にはすでに11月1日に諸聖人の祝いを行うことが一般化していたことがわかる。[[835年]]には[[ルイ敬虔王]]の布告によって、フランク王国の中で11月1日が守るべき祝日となっている。
 
その後、[[宗教改革]]者たちによって[[プロテスタント]]では[[聖人#キリスト教|聖人]]への崇敬が廃止されたため、プロテスタント諸国では徐々に廃れていった。しかし[[スウェーデン]]では、諸聖人の日は死者のために祈る日となることで存続した。
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[[アイルランド]]や[[ケルト人|ケルト]]の習慣では諸聖人の日の前の晩は「ハロウ・イブ({{en|Hallow Eve}})」と呼ばれ、キリスト教伝来以前から精霊たちを祭る夜であった。[[19世紀]]になって、[[北アメリカ]]に移住した移民によって[[アメリカ合衆国]]に持ち込まれた習慣が「[[ハロウィン]]({{en|Halloween}})」である。「ハロウィン」は「ハロウ・イブ」がなまったものである。アメリカ合衆国では現在、このハロウィンの方が盛大に開かれる。だが諸聖人の日には、元々アメリカ国内にてカトリック教会の信徒が少ないせいもあって、これといった行事は催されないのが通常である。
 
なお、[[イギリス]]とカトリック諸国では諸聖人の祝日がその後も続いており、例えば[[ポーランド]]では同じ11月1日に、[[サドゥスキー]]といって[[ろうそく]]を持って墓参りをする習慣がある。ポーランドをはじめ伝統的にカトリック信徒の多い国では、いまも11月1日は国民の祝日になっている。また[[ポルトガル]]と[[フランス]]ではこの日に亡くなった親族のために花をささげる習慣がある。[[ディアダスブルカス]]として知られるポルトガル式のハロウィンは[[4月30日]]の夜に行われているが、諸聖人の日との関連はない。
 
==脚注==