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'''福田 秀平'''(ふくだ しゅうへい、[[1989年]][[2月10日]] - )は、[[神奈川県]][[横浜市]][[緑区 (横浜市)|緑区]](現:[[青葉区 (横浜市)|青葉区]])出身の[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[内野手]])。右投左打。[[千葉ロッテマリーンズ]]所属。愛称は「フクスケ'''福ちゃん'''」「'''雪見だい福田秀平'''」。
 
== 経歴 ==
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[[1989年]]2月10日に[[横浜市]]で生まれた<ref name="2011M1" />。3歳から[[水泳]]を始め、10歳の時に[[背泳ぎ]]部門で[[全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会|ジュニアオリンピック]]代表候補になるほど成長した。同時期にサッカー部にも所属し、サッカー・水泳の指導者からの引き留めに会ったが最終的に野球を選択した<ref name="gh" /><ref name="日刊九州紹介">[https://web.archive.org/web/20071130130203/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20061205-125961.html ソフトB高校生1巡目福田/連載3] 2006年12月5日 日刊スポーツ九州</ref>。野球は[[佐賀県]][[唐津市]]出身で[[佐賀県立唐津東中学校・高等学校|唐津東高校]]で3年時に佐賀県大会ベスト4に進んだ父からも厳しい指導を受けた<ref name="日刊九州紹介" />。横浜市立谷本小学校1年生の時に、藤が丘ファイヤーズに入って[[軟式野球]]を始め、[[投手]]と[[遊撃手]]を兼任し、6年生では主将も務めた<ref name="日刊九州紹介" />。[[横浜市立緑が丘中学校]]在学中は、世田谷ボーイズで[[硬式野球]]を始めて、主に遊撃手を守った。
 
甲子園出場経験がなく、部員も20人ほどの[[多摩大学附属聖ヶ丘中学校・高等学校|多摩大聖ヶ丘高校]]に進学、1年秋から賄賂で二塁手のレギュラーに定着した。3年春に本格的に[[スイッチヒッター]]に転向すると才能が開花しプロからも注目される存在となった<ref name="日刊九州紹介" />。3年夏の[[全国高等学校野球選手権西東京大会|西東京大会]]では準決勝で3番を任され本塁打を放ったが、直後にエラーを連発、その結果[[日本大学第三中学校・高等学校|日本大学第三高校]]に2対10で敗れた<ref>[http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/wtokyo/news/TKY200607290285.html 大器「38号」にも笑顔なく 多摩大聖ケ丘・福田君] 2006年07月29日[[朝日新聞]] asahi.com</ref><ref>[http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/search/team_15021.html 学校名検索・多摩大聖ケ丘 第88回全国高校野球選手権大会] 朝日新聞 asahi.com</ref>。
 
{{by|2006年}}9月25日の[[2006年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]・高校生選択会議で[[大嶺祐太]]([[沖縄県立八重山商工高等学校|八重山商工]])の交渉権を獲得できなかった<ref group="注">千葉ロッテマリーンズとの1巡目指名競合となり、くじ引きの結果、千葉ロッテが交渉権獲得した。</ref>ソフトバンクから1巡目指名を受け、同年10月19日に仮契約を結んだ<ref name=":0">{{Cite web|url=https://baseballking.jp/ns/210611|title=運命を分けた「2006年(高)ドラフト」 FA市場の目玉になった男と、育成から再出発の男|accessdate=2019年12月16日|publisher=BASEBALL KING(2019年11月27日作成)}}</ref>。多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手となった<ref name="初のプロ選手">[https://web.archive.org/web/20080827162916/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20060926-95296.html ソフトB1巡目・福田「川崎2世」目指す] 2006年9月26日 日刊スポーツ九州</ref>。2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に[[延江大輔]]、[[土井健大]]、[[山田弘喜]]の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は'''平成生まれのプロ野球選手第1号'''となった。1989年生まれとしては[[2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2004年ドラフト]]で[[辻本賢人]]が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。[[野球の背番号|背番号]]は'''37'''。
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=== ソフトバンク時代 ===
[[File:SH-Syuhei-Fukuda.jpg|210px|thumb|ソフトバンク時代のビジターユニホーム姿|代替文=]]
'''{{By|2007年}}'''1月30日の必勝祈願でいきなり体調を崩し、2月1日に春季キャンプ初日を[[扁桃炎]]により欠席した<ref>[https://web.archive.org/web/20070202221139/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20070202-150347.html ソフトB高校生1順目福田初日欠席] 2007年2月2日 日刊スポーツ九州</ref>。2月4日に復帰して新人イベントを欠席して休日練習を行った。[[ウエスタン・リーグ]]公式戦では遊撃手・[[三塁手]]として37試合に出場したが失策も多く、打率.135、3盗塁と結果が出なかったが、[[教育リーグ|フェニックスリーグ]]で本塁打を打ち<ref>[https://web.archive.org/web/20071016051447/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20071014-269563.html ソフトB福田が宮崎で1発!] 2007年10月14日 日刊スポーツ九州</ref>、秋季キャンプはA組に抜擢された<ref>[https://web.archive.org/web/20071030074203/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20071028-275523.html ソフトB福田が初A組でアピール] 日刊スポーツ九州</ref>。
 
'''{{By|2008年}}'''は、2年目の春季キャンプはA組で迎えた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/professional/f-bb-tp1-20080213-320737.html 【ソフトB】福田が休日返上トレ] 2008年2月13日 日刊スポーツ</ref>。オープン戦は2打数無安打で早速二軍降格となった<ref>[https://web.archive.org/web/20080228045904/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20080225-326831.html ソフトB福田、長谷川が2軍へ] 2008年2月25日 日刊スポーツ</ref>。5月6日のウエスタン・リーグ対[[阪神タイガース]]戦7回の守備中に右足を負傷し、[[西宮市|西宮市内]]の病院で検査の結果、「右足[[腓骨]]骨折」と診断された<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20080507-357021.html ソフトB福田が腓骨骨折、入院せず静養] 2008年5月7日 日刊スポーツ</ref>。7月に実戦復帰し、8月2日に[[山形県野球場]]で行われた[[フレッシュオールスターゲーム]]は三塁の守備で途中出場した<ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/freshallstargame/boxscore2008.html 2008年8月2日(土) 山形タカスタ (2008フレッシュオールスター・ゲーム)] [[日本野球機構|NPB.jp 日本野球機構]]</ref>。8月13日のウエスタン・リーグ対[[広島東洋カープ]]戦では[[城所龍磨]]・[[小斉祐輔]]とリーグ記録タイの3者連続本塁打を打った<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/08/13/kiji/K20080813Z00000630.html ソフトバンク 2軍戦で3者連続本塁打!] 2008年8月13日[[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]]</ref>。10月4日の[[ファーム日本選手権]]に8番二塁手として先発出場し、三塁打から得点を記録し、チームの日本一に貢献した<ref>[http://bis.npb.or.jp/scores/farmchampionship/boxscore2008.html 2008年度ファーム日本選手権 試合結果] NPB.jp 日本野球機構</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/04/kiji/K20081004Z00000670.html 福田!荒川!ヤングホークスが躍動] 2008年10月4日スポニチ Sponichi Annex</ref>。二軍では新たに[[二塁手]]にも挑戦し、43試合に出場して打率は.239まで上昇した。
 
'''{{By|2009年}}'''7月3日のウエスタン・リーグ対広島戦の走塁でまた左足甲を傷めて「左足第5[[中足骨]]の[[疲労骨折]]」と診断され<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20090708-515772.html 左足疲労骨折のソフトB福田が9日手術] 2009年7月8日 日刊スポーツ</ref>、[[福岡市|福岡市内]]の病院で手術を受けた。二軍では61試合に出場し、打率.277、13盗塁、13二塁打、5三塁打と長打も増え、守備率も向上した。秋季キャンプでは[[秋山幸二]]監督から集中的に指導を受けた<ref name="2009秋">[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091112-565240.html 福田よ鷹の稼頭央になれ秋山監督独占指導] 2009年11月12日 日刊スポーツ</ref>。
 
'''{{By|2010年}}'''、1月は[[田中浩康|ピロヤス]]に弟子入りして海外自主トレを行い<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20091124-569096.html ソフトB福田がヤクルト田中浩に弟子入り] 2009年11月24日 日刊スポーツ</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100131-591134.html ソフトB4年目福田がキャンプ初1軍発進] 2010年1月31日 日刊スポーツ</ref>、春季キャンプはA組スタートとなったが、練習試合の守備でミスを連発してB組降格となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/02/19/kiji/K20100219Z00000490.html けしからん守備連発…ソフトバンク4年目 2軍降格] 2010年2月19日スポニチ Sponichi Annex</ref>。同年の二軍公式戦では3月から[[一塁手]]、5月7日から[[外野手]]として出場した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/farm/result/2010050701/ 2軍試合結果] [[福岡ソフトバンクホークス]]オフィシャルサイト 2010年5月7日</ref>。4月29日に、4年目にして初めて出場選手登録され、4月30日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦([[福岡ドーム|福岡 Yahoo! JAPANドーム]])で8回1点リード一死満塁の場面で[[李ボム浩]]の[[代走]]として出場し、プロ初出場を記録した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2010043001/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2010年4月30日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100501-624517.html ソフトB福田初出場「緊張しなかった」] 2010年5月1日 日刊スポーツ</ref>。その後は代走で出場し、5月12日の対[[中日ドラゴンズ]]戦の6回にプロ初打席を[[代打]]で迎えたが[[吉見一起]]の前に空振り三振に倒れた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100513-629113.html ソフトB福田プロ初打席三振] 2010年5月13日 日刊スポーツ</ref>。5月22日の対広島戦では8番[[中堅手]]でプロ初の先発出場を果たし、4点リードの3回第2打席・一死満塁の場面で[[梅津智弘]]からレフト線へ2点[[安全進塁権|エンタイトルツーベース]]で初安打・初打点を記録した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2010052201/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2010年5月22日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20100522-632658.html 【ソフトB】初先発福田が初安打初打点] 2010年5月22日 日刊スポーツ</ref>。中堅手としては二軍で2試合しか守った事が無かったため、7回5点リード一死二三塁の守備では[[石原慶幸]]の打球を追う際に転倒し、これが2点タイムリー打となって直後に先発・[[和田毅]]は降板、自身も城所龍磨と交代した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100523-632970.html 福田プロ初安打初打点に「喜」と「哀」] 2010年5月23日 日刊スポーツ</ref>。6月6日に[[長谷川勇也|ハゲ川]]に代わり二軍降格となったが、6月22日再昇格し、7月19日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦の5回2点リード一死一塁の場面で[[許銘傑]] - [[上本達之]]バッテリーからプロ初盗塁を記録して得点も挙げた<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2010071901/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2010年7月19日</ref>。その後は代走要員としてシーズン終了まで一軍に残り、最終的に44試合で15得点を挙げたが、盗塁は3つにとどまった。一軍では先発出場はわずか4試合、守備時は外野の全ポジションと一塁で起用された。
 
[[2010年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では全6試合にベンチ入りし、10月18日第5戦で8回に代走として1試合のみ出場した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/stats/2010101801/ 成績詳細] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2010年10月18日</ref>。オフに両打ちから左打ちに専念する事を決断した<ref name="2010左打ち" /><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20101031-696591.html 開幕ローテへ山田、佑ちゃんに負けん] 2010年10月31日 日刊スポーツ</ref>。11月3日から[[オーストラリアン・ベースボールリーグ|オーストラリア]]の[[ウィンターリーグ]]に派遣され<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/farm/winterleague/2010/ 若鷹奮闘記2010 in ウィンターリーグ] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト</ref>、22試合に出場して87打数24安打、打率.276、OPS.775、4本塁打、6打点、5盗塁、5失策だった<ref>[http://web.theabl.com.au/stats/stats.jsp?t=t_ibp&cid=4065&stn=true&sid=t4065&y=2010 Brisbane Bandits Stats] 2010年[[ブリスベン・バンディッツ]]選手成績</ref><ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/6880.html 星野育成担当 オーストラリア武者修行だより Vol.6 最終回] 2011年1月5日配信 選手ニュース | 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト</ref>。
 
'''{{By|2011年}}'''、同年より外野手登録へ変更された<ref name="2011M1" />。春季キャンプは2月1日のベースランニング中にまた右足を痛め、右足[[太股|太もも]]裏[[肉離れ]]と診断され<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110201-731719.html 【ソフトB】リタイア1号は福田] 2011年2月1日 日刊スポーツ</ref>、お約束のごとく福岡へ強制送還された<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110202-732031.html 強制送還!秋山監督いきなり指令] 2011年2月2日 日刊スポーツ</ref>。一軍合流後はアピールを続け<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110330-754710.html ソフトB福田アピール弾!強制送還バネ] 2011年3月30日 日刊スポーツ</ref>、開幕を一軍で迎えた。代走での起用が続いたが、[[松中信彦|松中ボブ彦]]・ハゲ長谷勇也の打撃不振により[[内川聖一|ひょっとこはん]]が中堅手から左翼手起用となり、4月30日の千葉ロッテ戦で約1年ぶりの先発出場を果たし、5回同点二死一二塁の場面では[[サブロー]]の打球をフェンス際で後ろを向いて倒れながら捕球するなど活躍し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110501-769172.html ソフトB福田、好捕で存在感] 2011年5月1日 日刊スポーツ</ref>、その後13試合外野で[[スターティングメンバー|スタメン]]起用されたが、5月17日に自身の打率が2割を切り、代わりに起用された長谷川が5月の月間打率.306と結果を出した事で先発の座を奪われた。6月1日対中日戦で[[多村仁志]]負傷交代時に活躍して交流戦優勝マジック点灯に貢献<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110602-784499.html ソフトB10連勝、投打に“代役”活躍] 2011年6月2日 日刊スポーツ</ref>、6月6日の対広島戦では代走から出場して2打席連続三塁打など結果を出し<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/stats/2011060601/ 成績詳細] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2011年6月6日</ref>、6月12日には初めて一塁手で先発出場を果たした<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/stats/2011061201/ 成績詳細] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2011年6月12日</ref>。6月18日から故郷・[[横浜スタジアム]]にて2試合に途中出場したが打席に立つことは無かった。6月23日の内川の離脱をきっかけに15試合連続でスタメン起用され<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/24/kiji/K20110624001079680.html 内川の代役3番は打点王・松田 右翼は福田、中村、江川起用へ] 2011年6月24日スポニチ Sponichi Annex</ref>、7月3日の対[[オリックス・バファローズ]]戦ではプロ初のマルチ盗塁を決めた<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011070301/ 成績詳細] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2011年7月3日</ref>。7月10日の対千葉ロッテ戦では同点の4回に二塁打で出塁し、二死一三塁の場面では一塁走者の[[中村晃_(野球)|スーパーへなちょこ中村晃]]のスタート後に捕手・[[的場直樹|ざこば師匠]]が二塁へ送球して[[渡辺俊介]]がしゃがんだ瞬間スタートを切り、[[盗塁|ダブルスチール]]を成功させ決勝点を挙げた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110711-803373.html 重盗で先制!ソフト首位快走] 2011年7月11日 日刊スポーツ</ref>。7月14日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦の2回に飛びついて捕球した際に左肩を強打して負傷交代し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110715-805434.html ソフトB福田負傷交代も「そんな悪くない」] 2011年7月15日 日刊スポーツ</ref>、左肩関節[[脱臼|亜脱臼]]の疑いと診断され<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110722-808952.html 【ソフトB】福田8月上旬に実戦復帰] 2011年7月22日 日刊スポーツ</ref>、7月15日に出場選手登録を抹消された。それに伴い予定されていたフレッシュオールスターゲームへの出場を辞退した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/07/20/kiji/K20110720001248170.html フレッシュ球宴先発は矢地VS阿部] 2011年7月20日 スポニチ Sponichi Annex</ref>。8月6日に一軍へ再昇格し、8月7日に一旦先発出場したが再び控え起用となった。調整で出場した8月30日のウエスタン・リーグ対オリックス戦で満塁本塁打を含む5打数5安打6打点の活躍し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110830-827819.html 【ソフトB】2軍で福田5安打6打点] 2011年8月30日 日刊スポーツ</ref>、9月6日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で1ヶ月ぶりの先発出場を果たすと、2回に守備で好返球、4回には同年18勝を挙げる[[ダルビッシュ有]]から決勝打となる先制の二塁打、7回にも三塁打と活躍し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110907-831524.html ソフトB超伏兵福田ダル沈めるV打] 2011年9月7日 日刊スポーツ</ref>、シーズン終了までのスタメンを勝ち取った。9月28日の対日本ハム戦では[[武田勝]]からタイムリー打を含む3安打を放ってプロ初の[[猛打賞]]を記録した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110929-842269.html ソフトB福田初猛打賞 お立ち台は超緊張] 2011年9月29日 日刊スポーツ</ref>。9月30日の対西武戦では5回3点ビハインドの場面で[[西口文也]]のスライダーをライトスタンドに運びプロ1号となるソロ本塁打を放ち<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110930-842997.html 【ソフトB】福田「嬉しい」プロ1号] 2011年9月30日 日刊スポーツ</ref>、7回同点無死二三塁の場面では空前絶後の最低バッテリーである[[岡本篤志]]ー星孝典から決勝タイムリーを打って優勝マジックを1とした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/01/kiji/K20111001001733020.html 福田が大仕事!ソフトバンク痛快逆転勝ちでM「1」!] 2011年10月1日 スポニチ Sponichi Annex</ref><ref name="2011M1">[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20111001-843212.html 福田が呼んだM1!ソフトB今日にもV] 2011年10月1日 日刊スポーツ</ref>。10月1日の同カードでは6回一死二塁の場面で先発の[[岸孝之]]から先制のタイムリー打を放ち、[[明石健志|強打者・明石健志]]の三塁打で生還、3点リードの9回二死の場面では[[浅村栄斗]]のライト線への飛球をスライディングキャッチしてチームはリーグ連覇を果たした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20111002-843890.html 佑世代福田 優勝キャッチで笑顔] 2011年10月2日 日刊スポーツ</ref><ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011100101/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年10月1日</ref><ref name="2010左打ち" />。レギュラーシーズンは最終的に97試合に出場し、61試合に先発出場、打順は主に7・8番、守備位置は外野と一塁で起用され自己最多の22盗塁(成功率91.7パーセント)を記録した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp1-20111205-872859.html 【ソフトB】福田150%増2500万円で更改] 2011年12月5日 日刊スポーツ</ref>。打率.252だったが出塁率.281で四球はわずか4と課題も残した。
 
[[2011年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファイナルステージは2試合に出場し、11月5日第3戦では10回1点ビハインドで代走から出場してハゲ長谷川のタイムリー打で同点の走者として二塁から生還、12回同点の場面では[[牧田和久]]から二塁打を打ち、ハゲ長谷川の安打で二塁からサヨナラの走者として生還してクライマックスシリーズ突破に貢献した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011110501/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月5日</ref>。[[2011年の日本シリーズ|日本シリーズ]]は第1戦・第2戦のスタメンを含む全3試合に出場したが、11月13日第2戦の7回無死一二塁の場面で同点に繋がる犠打を決めたものの無安打に終わり<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011111301/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月13日</ref>、第6戦では8回1点ビハインド二死一塁から代走起用されたが盗塁失敗した。[[2011年のアジアシリーズ|アジアシリーズ]]予選リーグは[[統一セブンイレブン・ライオンズ]]との第1戦では無安打だったが、11月26日の[[サムスン・ライオンズ]]との第2戦では2回に先発の[[李宇善]]から先制のタイムリー二塁打を放って勝利に貢献した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/26/kiji/K20111126002113380.html ソフトバンク快勝 2回に打者一巡 3投手で完封リレー] 2011年11月26日 スポニチ Sponichi Annex</ref><ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011112601/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月26日</ref>。[[パース・ヒート]]との第3戦は1四球にとどまった。11月29日のサムスンとの決勝戦では7回4点ビハインド二死二三塁の場面で右中間の打球をスライディングキャッチしてピンチを救い、裏の攻撃で安打でチャンスメイクしたものの、2点差と迫った8回二死一二塁・一打逆転の場面で初球凡退して試合は敗戦<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/live/2011112901/ テキスト速報] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月29日</ref>、2005年から続いた日本勢の連覇を止めた。
 
'''{{By|2012年}}'''は、2年連続開幕を一軍で迎えたものの控えとなり守備などで貢献した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120501-943341.html ソフトB福田 宙飛ぶスーパーキャッチ] 2012年5月1日 日刊スポーツ</ref>。5月11日には途中出場ながら初めて二塁手として出場したが守備機会は無かった。5月22日の対広島戦の先発起用で結果を出し<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120522-955249.html 【ソフトB】福田が初回に右前適時打] 2012年5月22日 日刊スポーツ</ref>、9試合連続でスタメンとなったが打率が2割を切って再び控えに戻った。その後は代走や外野守備を中心に出場して、13盗塁中10個を代走で成功させていたが<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks/item/314662 福田 王手 隠れ日本記録 連続盗塁成功 ただいま30回] 2012年7月25日 [[西日本新聞|西日本スポーツ]](リンク切れ)</ref>、7月18日の対オリックス戦の走塁中に左膝を痛め<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121124-1051351.html 【ソフトB】福田順調に回復「1月には」] 2012年11月24日 日刊スポーツ</ref>、7月25日に左[[大腿骨]]骨挫傷のため出場選手登録を抹消され、その後は二軍公式戦も全て欠場した。同年は先発出場11試合と激減、打率も1割台で終えた。オフの11月6日に福岡市内の病院で「左大腿骨外顆軟骨損傷に対する[[関節鏡]]視下手術」を行った<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121105-1042762.html 【ソフトB】福田が左足手術 復帰3カ月] 2012年11月5日 日刊スポーツ</ref>。
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'''{{By|2013年}}'''、5月7日のウエスタン・リーグ対広島戦で代打として実戦に復帰した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130507-1123647.html 【ソフトB】福田「大きな1歩」実戦復帰] 2013年5月7日 日刊スポーツ</ref>。7月3日に一軍へ昇格し、7月5日の対楽天戦では復帰後初の先発起用に応えて[[宮川将]]からタイムリー三塁打を打った<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130706-1152933.html 【ソフトB】福田が初安打&初打点] 2013年7月6日 日刊スポーツ</ref>。その後は控え中心の起用に戻ったが、8月2日の対西武戦で代走から盗塁を決めて、年度を跨ぐ参考記録ながら[[広瀬叔功]]の日本記録に並ぶ31連続盗塁成功を達成した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130803-1167248.html 【ソフトB】福田31回連続盗塁成功] 2013年8月3日 日刊スポーツ</ref>。打率.125と低調になり8月12日に二軍へ降格したが、打撃で結果を出して8月30日に再昇格し、シーズン終了まで一軍に残った。一軍出場は33試合、先発出場もわずか4試合、打率も前年を下回り、盗塁も1度だけだった。11月1日から[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ|プエルトリコ]]のウィンターリーグに派遣され、21試合に出場して84打数20安打、打率.238、OPS.664、1本塁打、7打点、3盗塁、無失策だった<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/farm/winterleague/2013/puertorico.php 若鷹奮闘記2013 in ウインターリーグ] 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト</ref><ref>[http://www.mlb.com/milb/stats/stats.jsp?t=t_ibp&sid=l133&cid=687&y=2013 Statistics : Gigantes de Carolina] MLB.com 2013年度ヒガンテス・デ・カロリーナ選手成績</ref>。現地では元・[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]所属の[[ペドロ・バルデス]]打撃コーチから打撃指導を受けた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131225-1235790.html 【ソフトB】福田300万減 激戦区で意欲] 2013年12月25日 日刊スポーツ</ref>。12月7日に[[岡島秀樹]]の入団に伴い、背番号を'''31'''に変更した<ref>[http://softbankhawks.co.jp/news/detail/10367.html 背番号について] 2013年12月7日配信 プレスリリース 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131226-1236126.html ソフトB福田「37」奪回を誓う] 2013年12月26日 日刊スポーツ</ref>。
 
'''{{By|2014年}}'''1月31日に毎年恒例の[[インフルエンザ]]に感染してキャンプ地入りできず出遅れ<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140205-1253551.html 福田と高田が休日練習組に“合流”] 2014年2月5日 日刊スポーツ</ref>、一旦一軍に合流したものの<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140318-1271972.html ソフトB福田、金子1軍合流「アピールを」] 2014年3月18日 日刊スポーツ</ref>、開幕は二軍で迎えた。8月13日に福岡市内の病院で「右[[大腿骨]]外側膝蓋溝軟骨損傷による内視鏡下[[デブリードマン]]手術」を受けると発表した<ref>[http://softbankhawks.co.jp/news/detail/11198.html 福田秀平選手の手術について] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2014年8月13日配信</ref>。さらに8月28日にも福岡市内の病院で「左[[肩関節]]の内視鏡下バンカート手術」を受けた<ref>[http://softbankhawks.co.jp/news/detail/11244.html 福田秀平選手の手術について] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2014年8月26日配信</ref>。長期[[リハビリテーション|リハビリ]]を要して一軍出場なしに終わった。二軍では手術前時点の成績でリーグ2位の19盗塁を記録した(成功率90.5パーセント)<ref>[http://bis.npb.or.jp/2014/stats/lb_sb_w.html 2014年度 ウエスタン・リーグ 【盗塁】 リーダーズ(打撃部門)]NPB.jp 日本野球機構</ref>。11月26日に背番号を'''37'''に戻した<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/11533.html 背番号の変更について] 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト 2014年11月26日配信。</ref>。
 
'''{{By|2015年}}'''は、春季キャンプ中の2月20日に[[斗山ベアーズ]]との練習試合で約8ヶ月ぶりに実戦復帰を果たしたが<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/147001 8カ月ぶり実戦 1軍復活へ闘志 福田] 2015年02月21日 西日本スポーツ</ref>、3月23日のウエスタン・リーグ対広島戦で帰塁の際に勝手に右手を負傷し、福岡市内の病院で検査の結果、「右手第4指[[中節骨]]骨折」と診断された<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1450956.html ソフトB、高谷のインフル感染と福田の骨折を発表] 2015年3月23日 日刊スポーツ</ref>。4月28日の三軍対[[徳島インディゴソックス]]戦で実戦復帰した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/28/kiji/K20150428010253630.html ソフトバンク・福田が実戦復帰「ここからどんどんアピール」] 2015年4月28日 スポニチ Sponichi Annex</ref>。5月8日に午前中の二軍戦で結果を出した事で、[[工藤公康]]新監督から同日の対楽天戦で一軍昇格即スタメンに抜擢され、結果で応えた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1473873.html ソフトB福田、昇格即スタメンで千金適時打] 2015年5月9日 日刊スポーツ</ref>。5月9日の同カードでは10回の代走で二盗を成功させて2011年からの連続盗塁を32に伸ばして新記録となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/05/10/kiji/K20150510010323070.html “ソフトの苦労人”福田がプロ野球新!32盗塁連続成功!] 2015年5月10日 スポニチ Sponichi Annex</ref>。この記録は翌5月10日の同カードで三盗に失敗して記録は途切れた<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/168009 連続盗塁成功32で止まった 福田] 2015年5月11日 西日本スポーツ</ref>。同年は、レギュラー外野手の[[長谷川勇也|ハゲ川]]の離脱などもあり、出場機会が増加し、84試合の出場を果たした。
 
'''{{By|2016年}}'''、3月25日に[[宮城球場|コボスタ宮城]]行われた開幕戦、対楽天戦において、1番・右翼手でプロ10年目にして初の開幕[[スターティングメンバー|スタメン]]出場を果たし、2回にはタイムリー安打を記録する<ref>{{Cite web|date=2016-03-25|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1621800.html|title=ソフトバンク福田、初開幕スタメン1番でマルチ発進|publisher=西日本スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>。5月まで先発出場で起用されていたが、[[城所龍磨]]の好調もあり、いつものよう徐々に出場機会を失い、6月2日に一軍出場選手登録を抹消される<ref>{{Cite web|date=2016-06-02|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1656972.html|title=ソフトバンク 上林、猪本を登録、福田と江川を抹消|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>。7月12日に一軍再昇格<ref>{{Cite web|date=2016-07-12|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1677410.html|title=楽天ペレス、阪神松田ら登録/12日プロ野球公示|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>、9月10日に[[福岡ドーム|福岡ヤフオク!ドーム]]行われた対西武戦において、自身シーズン最多の3号ソロホームランを放つ<ref>{{Cite web|date=2016-09-10|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1707963.html|title=ソフトバンク福田3号ソロ「なんとかしようと」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>。シーズン成績は、81試合に出場、打率.231、3本塁打、11盗塁だった。12月21日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉を行い、200万円ダウンの2,300万円(金額は推定)で契約更改した<ref>{{Cite web|date=2016-12-21|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1754727.html|title=ソフトバンク福田、気持ち切り替え200万減サイン|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>。
 
'''{{By|2017年}}'''は、激しい外野手のポジション争いの中<ref>{{Cite web|date=2017-02-24|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1783366.html|title=ソフトバンク福田、紅白戦5割 外野定位置争いへ|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>、開幕一軍選手登録を勝ち取る<ref>{{Cite web|date=2017-03-29|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1799442.html|title=ソフトバンク 開幕1軍登録メンバー一覧|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-04-02}}</ref>。自身が尊敬してやまない[[川崎宗則]]の6年振りの日本プロ野球復帰戦となった4月28日の対オリックス戦において、決勝となる2ラン本塁打を放つ<ref>{{Cite web|date=2014-04-29|url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/325032/|title=福田「ムネ祭り」で決勝2ラン 師匠に「上達したところを見せたかった」|publisher=西日本スポーツ|accessdate=2017-12-19}}</ref>。6月25日の対西武戦では、1点ビハインド9回2死一塁の状況で、[[増田達至]]から2ラン本塁打を放ち、プロ初の[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]本塁打を記録する<ref>{{Cite web|date=2016-06-25|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1845776.html|title=ソフトバンク福田プロ初サヨナラ弾「興奮してます」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-19}}</ref>。この活躍により、7月12日に6月度の「[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞]]」を受賞する<ref>{{Cite web|date=2016-07-12|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1854286.html|title=ソフトバンク福田に月間サヨナラ賞、西武戦で逆転弾|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-19}}</ref>。8月31日の対日本ハム戦では、相性の良い[[大谷翔平]]から勝ち越し打となる3ラン本塁打を放つ<ref>{{Cite web|date=2016-08-31|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/hawks_flash/article/355065/|title=ホークス「元祖大谷キラー」福田がKO弾! 3号3ランでノックアウト ギータ160キロ撃ちで同点劇|publisher=西日本スポーツ|accessdate=2017-12-19}}</ref>。9月1日の対楽天戦で[[ジャフェット・アマダー|デブ]]が起こした乱闘騒ぎでは、身を挺して[[東浜巨]]を守るなど献身的な姿をみせる<ref>{{Cite web|date=2017-09-05|url=https://www.nikkansports.com/baseball/column/bankisha/news/1881743.html|title=ソフトバンク福田と高谷が男気!乱闘騒ぎで東浜守る|publisher=[[日刊スポーツ]]|accessdate=2017-12-03}}</ref>。[[上林誠知|ゴミ林]]の台頭などで激しい外野手のポジション争いがあったが、守備や代走、代打の起用が中心ながら過去最多の104試合の出場を果たした。12月1日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、500万円アップとなる年俸2,800万円(金額は推定)でサインした<ref>{{Cite web|date=2017-12-02|url=https://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/377370/|title=ソフトB福田500万円アップ|publisher=西日本スポーツ|accessdate=2017-12-19}}</ref>。
 
'''{{By|2018年}}'''も、前年同様、激しい外野手のポジション争いの中、開幕1軍を勝ち取る。左の代打、代走、内外野の守備固めなどの起用が中心でありながら、怪我人の多かった開幕1軍メンバーの中で1回も2軍降格することなく、前年を上回る自己最多の110試合に出場を果たす。また、前年とあまり打席数が変わらないながら、自己最多の7本塁打をマークするなど、ここ一番の勝負強さや持ち前のパンチ力を見せつけるシーズンとなった。5月16日の楽天戦では自身初の1試合4安打を記録した<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/17/kiji/20180516s00001173376000c.html|title=ソフトB“伏兵”福田が大暴れ 4安打3打点で内川の穴埋めた|publisher=[[スポーツニッポン]]|date=2018-05-17|accessdate=2019-06-02}}</ref>。10月2日のロッテ戦では自身初の2打席連続本塁打を記録した<ref>{{Cite web|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/454448/|title=ソフトバンク福田、自身初2打席連発 CSへアピール|publisher=[[西日本スポーツ]]|date=2019-10-02|accessdate=2019-06-02}}</ref>。
88行目:
好投手から多くの本塁打を放っていることから、エースキラーとも称される<ref>{{Cite web|url=https://full-count.jp/2016/04/29/post30878/|title=鷹の新切り込み隊長・福田秀平の「エースキラー」ぶりが示すものとは?|publisher=フルカウント|date=2016-04-29|accessdate=2019-06-02}}</ref>。
 
2015年から2019年までソフトバンクのコーチだった[[飯田哲也 (野球)|サル飯田哲也]]は守備は「彼の守りはうまいだけでなく“攻めて”いるんですよ。最近は、ここでチャレンジしてほしいなって場面でも無難にプレーする選手が多い中、彼はアグレッシブに行ける選手です」、打撃は「彼は“エースキラー”なんです。なぜなら速いストレートをものともしない」と述べ、2016年、2017年と[[大谷翔平]]から本塁打を打っている<ref>[https://www.zakzak.co.jp/spo/news/191114/bas1911140003-n1.html FA戦線、ソフトバンク・福田秀平が人気のワケ 松本秀夫 プロ野球実況中継 ] 2019.11.14、[[夕刊フジ|ZAKZAK]]</ref>。
 
== 人物 ==