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=== 日本での歴史 ===
[[File:Shizuoka Methodist 1.jpg|thumb|追手町にあった明治20年(1887年)頃の「静岡メソジスト教会」<ref name="shizuoka">『写真集 明治大正昭和 静岡』ふるさとの想い出 13、小川龍彦著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧</ref>]]
日本ではカナダ・北米教会による宣教から[[学校法人青山学院大学|青山学院]]、南メソジスト監督教会による宣教から[[学校法人関西学院大学|関西学院]]が生じた。[[日本メソヂスト教会]]は、[[日本基督教団]]設立と同時にこれに参加した。他には[[日本自由メソヂスト教団]]、[[日本フリーメソジスト教団]]、[[東京フリー・メソジスト教会]]などが存在する。これらは米国系のウェスレアン・メソジストである。
 
[[1873年]]米国[[メソジスト監督教会]]が宣教師を派遣し、[[横浜市|横浜]]、[[東京]]、[[長崎市|長崎]]、[[函館市|函館]]を伝道の拠点とした(美以教会)。[[本多庸一]]が弘前でメソジストに改宗し、やがて本多を中心として[[1884年]] 日本年会を組織した。[[神戸市|神戸]]を中心として[[西日本]]に伝道していた[[アメリカ南メソヂスト監督教会]](南美以教会)と静岡を中心に伝道していた[[カナダ・メソジスト教会]]が[[1907年]]に合同して、[[日本メソヂスト教会]]が誕生した。
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戦後に、[[日本自由メソヂスト教団]]が日本基督教団から独立し(1952年創立)、1970年以降のいわゆる「教団問題」により1984年そこから[[日本フリーメソジスト教団]]が分離する。また、戦後来日した北米自由メソジスト教会引退教師の伝道により、[[東京フリー・メソジスト教会]]が誕生した。
 
また、[[本多庸一]]によって改宗しメソジスト教会の伝道師になった[[中田重治]]によって[[ホーリネス運動]]が起こり、その結果ホーリネス派の諸教会が誕生した。日本ホーリネス教会の教職であった[[蔦田二雄]]を中心にして生まれた[[リバイバル・リーグ]]と呼ばれる[[超教派運動]]は、18世紀のメソジスト運動を日本において再現しようとするものであったが、1943年に始まった軍閥政府の教会弾圧によって中断を余儀なくされた。1945年に創設された[[イムマヌエル綜合伝道団]]は、その流れを継承する教派の一つで、神学的にはメソジストの系列にある。
 
また、英国メソジストから生まれた[[救世軍]]が、ライト大佐によって[[1895年]]から日本で始まった。日本での働きが開始されてまもなく、[[山室軍平]]が入隊し、後に日本人最初の士官として任命された。日本救世軍の自立を成長のために貢献した。日本では、災害の[[寄付|義捐金]]募金活動、出獄人保護事業などの社会事業を行った。