「平和革命」の版間の差分

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出典による記載に修正(著名な例として名誉革命等。日本の各政党の話は簡潔に。特に平和革命関係ではない話は整理。)
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'''平和革命'''(へいわかくめい)とは、[[平和]]的手段による[[革命]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E9%9D%A9%E5%91%BD-129098 平和革命 - _コトバンク]</ref>。類似語は[[無血革命]]など。対比語は[[暴力革命]]、[[武力革命]]など。
'''平和革命'''(へいわかくめい)とは、[[議会]]闘争・平和的[[デモ活動|デモ]]など、相対的に[[平和]]な方法で[[流血]]を極力避けつつ[[国家権力]]の[[社会階級|階級]]移行を実現すること。[[共産主義革命|社会主義革命]]としての平和革命では、[[ゼネラル・ストライキ]]など階級的な力の行使は否定されず、力によって[[ブルジョワジー|ブルジョワ]]階級から[[労働者階級]]への権力奪取をめざすという点では、[[革命]]であることにかわりはない。
 
== 日本概要 ==
平和革命は、武力など暴力を使用せず、[[議会]]闘争、[[デモ活動]]、[[ゼネラル・ストライキ]]など平和的手段による革命のこと。
[[日本共産党]]は[[1950年代]]前半は[[武装闘争]]路線をとり、[[1955年]][[日本共産党第6回全国協議会|第六回全国協議会]](六全協)以降はこれまでの武装闘争路線を否定しつつも、平和革命一元論を否定し[[敵の出方論]]による[[暴力]]行使の可能性を留保した。ただ、[[2010年代]]を迎えた現在では「敵の出方論」が言及されることはなくなり、「多数者革命」(議会の多数を得ての革命という意味)という名の平和革命路線に落ち着いており、その路線を示すものとして、日本共産党系の[[新日本出版社]]から「多数者革命」という題名の[[フリードリヒ・エンゲルス]]の文章を集めた書物も出版している<ref>[http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/name/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%81%B8%E6%9B%B8%E5%A4%9A%E6%95%B0%E8%80%85%E9%9D%A9%E5%91%BD/code/978-4-406-05368-6/ 古典選書 多数者革命]新日本出版社</ref>。
 
歴史的な著名な例には、17世紀イギリスの[[名誉革命]](ただし完全な無血ではない)、19世紀[[ポルトガル]]の[[1820年自由主義革命|自由主義革命]]、20世紀の[[東欧革命]]での多くの諸国、[[アラブの春]]の一部(チェニジアの[[ジャスミン革命]]など)などがある。
六全協の方針転換などに反発して1950年代末期から[[1960年代]]前半にかけて生まれた[[日本の新左翼|新左翼]]は、平和革命を強く否定し、[[1970年代]]にかけて角材・鉄パイプ([[ゲバルト棒]])で[[武装]]して街頭で[[機動隊]]と衝突し、[[火炎瓶]]・[[爆弾]]闘争をおこなったり、また、さらに過激な党派は世界を巻き込んで[[ハイジャック]]や銃乱射、爆弾テロなどに訴えたが、ことごとく失敗した。こうした過激な勢力は、[[2010年代]]においては、存続している組織も多いが、大幅に弱体化しているか、地方選挙・国政選挙での票集めや、合法活動重視の路線に転換している。
 
また革命を目指す勢力による手段として、暴力革命論に対して平和革命論の議論が存在する。
[[日本社会党]]は平和革命の立場に立っていたが、[[1986年]]決定の「[[日本社会党の新宣言]]」で革命そのものを否定した。日本社会党の後継政党である[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は社会民主主義を党是とし、革命を目指していない。[[社会党左派]]の一部が離党して結成された[[新社会党]]は綱領である『21世紀宣言』にて、「新たな国際的・国内的諸条件のもとでの平和革命による社会主義をめざす」としている<ref>[http://www.sinsyakai.or.jp/apper/sinsyakaitoha/kouryo.html 新社会党綱領『21世紀宣言』]新社会党公式サイト</ref>。
 
[[社会主義]]勢力は[[第一次世界大戦]]勃発により[[第二インターナショナル]]が崩壊し、[[国際主義]]や暴力革命を掲げるマルクス主義などの共産主義と、[[城内平和]]や[[資本主義]]内の[[改良主義]]を掲げる[[社会民主主義]]に分裂した。
== 世界 ==
平和革命を目指し選挙によって[[労働者]]による権力掌握に成功した例はあるが、[[人民連合 (チリ)|チリ人民連合]]の[[サルバドール・アジェンデ|アジェンデ]]政権の[[チリ・クーデター]]による失敗に見られるように、社会主義革命としてはまだ実現していない。しかし、[[東欧革命]]・[[ソ連崩壊]]・[[中華民国|台湾]]および[[大韓民国|韓国]]の[[民主化]]など平和革命とみられる国家権力の移行はすでにおこなわれている。
 
== 世界 ==
[[1999年]]に発足した[[ベネズエラ]]の[[ウゴ・チャベス|チャベス]][[政権]]およびその後継者である[[ニコラス・マドゥロ|マドゥロ]]政権は、社会主義平和革命の途上にあると言えるが、国家を[[社会主義]]体制へ移行させる新憲法案が僅差で否決されている。
*1970年以降、[[ヨーロッパ]]の一部の共産党は、暴力革命路線を放棄して[[ユーロコミュニズム]]となった。
*[[日本共産党]]は[[第二次世界大戦]]後、[[野坂参三]]らが「平和革命論」を主張したが、1950年に[[コミンフォルム]]から「[[帝国主義]]を美化するもの」と批判され、1961年以降は野坂らの路線は否定された<ref>[https://www.jcp.or.jp/jcp/jcp-syokai/html/fuwakoen_2.html 戦後の党の歴史から - 日本共産党]</ref>。
*[[日本社会党]]は平和革命の立場に立っていたが、[[1986年]]決定の「[[日本社会党の新宣言]]」で革命そのもの自体を否定した。日本社会党の後継政党である[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]は社会民主主義を党是とし、革命を目指していない。[[社会党左派]]の一部が離党して結成された[[新社会党]]は綱領である『21世紀宣言』にて「新たな国際的・国内的諸条件のもとでの平和革命による社会主義をめざす」と記載ている<ref>[http://www.sinsyakai.or.jp/apper/sinsyakaitoha/kouryo.html 新社会党綱領『21世紀宣言』]新社会党公式サイト</ref>。
 
== 脚注 ==