「アタナギルド (ヘルメネギルドの子)」の版間の差分

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しかし、アタナギルドの息子とされるアルデバルトの出自に関しては様々な議論があり、決着していない。上記のルイスの説を支持する歴史家もいれば、その説の根拠となる史料が不足していると唱えてアルデバルトの別名アルダバストに注目して以下の出自を推測する歴史家もいる。
 
アルダバストという名前は[[アルメニア]]の有力貴族マミコニアン家出身の人物によく見られる名前に類似しており、例を挙げるとマウリキウスの妹ゴルディア([[550年]]頃 - [[602年]]以降に没)と妹婿フィリピコス(550年頃 - [[614年]]頃)の娘(名前不詳)がマミコニアン家のアルタバストゥス(アルタヴァズド)<ref group=注>、{{要出典|範囲=[[570年代]]に東ローマ帝国に亡命してきたヴァルダン(バルダネス)・マミコニアンの親類(息子か?)に比定する説もあるが不明。この比定ではヴァルダンとアルタバストスの末裔に[[ヘラクレイオス王朝]]断絶後に即位した東ローマ皇帝[[フィリピコス・バルダネス]]がいるとされる。フィリピコス・バルダネスの血筋に関して判明しているのはパトリキウスという高い爵位をもっていたニケフォロスという父がおり、フィリピコス自身もパトリキウスであったと考えられ、[[ペルガモン]]出身のアルメニア系の人物であるということである。|date=2019年3月}}</ref>に嫁いでおり、更に時代が下って、東ローマ皇帝[[レオーン3世]]の娘アンナと結婚してニケフォロスとニケタスの2男を儲け、[[743年]]に処刑されたアルタバストス(アルタバズド)がいるなど、[[5世紀]]から[[8世紀]]にかけてアルメニア出身者が東ローマ帝国の歴史に見られ、その血筋が後世まで存続している。アタナギルドを人質としたマウリキウスから帝位を簒奪した[[フォカス]]を処刑して[[ヘラクレイオス王朝]]の開祖となった[[ヘラクレイオス]]も元の血筋を辿ればアルメニア系貴族である。なお、仮説としてゴルディアの娘とアルタバストスの間に娘がおり、アタナギルドと結婚してアルデバルトが生まれたというものがあるが、マミコニアン家の系譜自体が不明瞭な部分が多く確証に欠け、アルメニアやマミコニアン家に縁もしくはルーツを持つ人物ではないかという結論に留まっている。また、アルデバルトの父とされるアタナギルドも消息を示す記録が途絶えていることから、幼くして亡くなったのではないかと一部の歴史家の間では考えられている。いずれにせよ、アルデバルトはキンダスウィントに歓迎されただけでなく、西ゴート王族の一員となったことから、東ローマ帝国内で非常に重要な人物であったことが窺えるが、その出自はアタナギルドの息子の可能性があるとしか言いようがない。現時点ではアタナギルドとアルデバルトの関係を親子と断定するか否かという問題の確定にはルイスが遺した史料も無視できない為、新たな関連史料の出現を待つしかないと見られている。
 
== 没年について ==