「織部焼」の版間の差分

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[[File:Cornered Bowl, Mino ware, Oribe type, Edo period, 17th century - Tokyo National Museum - DSC05274.JPG|thumb|200px|right|織部脚付角鉢 [[東京国立博物館]]]]
[[File:Incense burner with lion shape knob.jpg|thumb|200px|right|織部獅子鈕香炉 慶長17年(1612年)銘 東京国立博物館]]
 
'''織部焼'''(おりべやき)は、[[桃山時代]]の[[慶長]]10年([[1605年]])頃、岐阜県[[土岐市]]付近で始まり[[元和 (日本)|元和]]年間([[1615年]]-[[1624年]])まで、主に[[美濃国|美濃地方]]で生産された[[陶器]]。[[美濃焼]]の一種で、基本的に[[志野焼]]の後に造られた。
 
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== 特徴 ==
[[ImageFile:ORIBE DISH.JPG|thumb|170px|right|織部扇形蓋物]]
[[File:桜幔幕文織部手付水注-Ewer (Suichū) with Cherry Blossoms and Picnic Curtain MET 2015 300 270 Burke website.jpg|thumb|170px|織部手付水注 [[メトロポリタン美術館]](バーク・コレクション)]]
*色
*:[[釉薬]]の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗がほとんどであり、それ以外は食器類が大半を占める。
*形・文様
*:整然とした端正な形を好み、[[抽象]]を重んじる他の[[茶器]]とは違い、歪んだ形の沓(くつかけ)茶碗や、[[市松模様]]や幾何学模様の絵付け、後代には[[扇子]]などの形をした食器や香炉など、具象的なものが多い。
*生産技術
*:[[連房式登窯]]の利用や、木型に湿らせた[[麻]]布を張り、そこに伸ばした粘土を押し付けるという手法で、少し前の[[志野焼]]と比べ大量生産が行われた。そうした量産化された茶碗でありながら、同じ作振り、同じ模様で描かれたものはなく、当時の陶工の作陶姿勢において、一碗一碗違った茶碗を造るという意識が徹底していたことを物語る。<ref>[[林屋晴三]] 『日本の美術444 和物茶碗』[[至文堂]]、2003年、p.54。</ref>
*釉薬
*:一般に「織部釉薬」といった場合は、透明釉薬に[[酸化銅]]などの銅を着色料として加え酸化焼成したものを言う。
 
*;
== 脚注 ==
*:[[釉薬]]の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗がほとんどであり、それ以外は食器類が大半を占める。
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*;形・文様
*:整然とした端正な形を好み、[[抽象]]を重んじる他の[[茶器]]とは違い、歪んだ形の沓(くつかけ)茶碗や、[[市松模様]]や幾何学模様の絵付け、後代には[[扇子]]などの形をした食器や香炉など、具象的なものが多い。
*;生産技術
*:[[連房式登窯]]の利用や、木型に湿らせた[[麻]]布を張り、そこに伸ばした粘土を押し付けるという手法で、少し前の[[志野焼]]と比べ大量生産が行われた。そうした量産化された茶碗でありながら、同じ作振り、同じ模様で描かれたものはなく、当時の陶工の作陶姿勢において、一碗一碗違った茶碗を造るという意識が徹底していたことを物語る。<ref>[[林屋晴三]] 『日本の美術444 和物茶碗』[[至文堂]]、2003年、p.54。</ref>
*;釉薬
*:一般に「織部釉薬」といった場合は、透明釉薬に[[酸化銅]]などの銅を着色料として加え酸化焼成したものを言う。
 
== 代表作 ==
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*織部扇形蓋物(東京国立博物館)
*織部南蛮人燭台([[サントリー美術館]])
 
== 脚注 ==
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== 参考資料 ==
{{参照方法|date=2020年2月|section=1}}
* 藤岡了一 『日本の美術51 志野と織部』 [[至文堂]]、1970年
* [[河原正彦]]『日本の美術237 陶磁(近世編)』 至文堂、1986年