「教養主義」の版間の差分

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===人格主義的教養主義===
他方、B1、B2を尊重する文芸上の動きはドイツの「[[教養小説]]」 (<ref>{{lang-de-short|Bildungsroman) }}</ref>に現れている。[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ヴォルフガング・ゲーテ]]『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1795年、1796年)がその代表である。その立場を評論で著したものには、[[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト]]『国家活動限界論』(1851年)など数編、[[ジョン・スチュアート・ミル]]『自由論』(1859年)、[[マシュー・アーノルド]]『教養と無秩序』(1869年)がある。その立場を哲学上で著したのは、[[イギリス]]では[[イギリス理想主義]] (<ref>{{lang-en-short|British idealism) }}</ref>で、その代表は[[トーマス・ヒル・グリーン]]『倫理学序説』(1883年)であり、[[ドイツ]]では[[新カント派]] (<ref>{{lang-de-short|Neukantianer) }}</ref>で、その代表は[[パウル・ナトルプ]]『一般教育学』(1905年)である。
 
==日本の教養主義==